未来の自分は答えない
「もし未来の自分にひとつだけ質問できるとしたら?」
SNSで定期的に浮上するこの話題。コメント欄はいつも賑やかだ。宝くじの番号、株価、結婚相手の名前。楽しそうでいい。誰も深く考えていないし、たぶんそれが正解だ。
少しでも真面目に向き合うと、思った以上に深いところまで連れていかれる。
質問は自白だ
たったひとつしか聞けないとき、あなたは何を選ぶだろうか。
「幸せですか?」と聞く人は、今、幸せかどうかわからずにいる。「仕事は続けていますか?」と聞く人は、今、仕事に不安を抱えている。「まだ生きていますか?」と聞く人のことは、ちょっと心配したほうがいい。
つまり、あなたが未来の自分に投げかける質問は、未来について何かを明らかにするのではなく、今この瞬間のあなたの不安の輪郭を、驚くほど正確になぞる。
未来を覗いているつもりで、覗き返されているのは自分のほうだ。
どう答えても壊れる
仮に「幸せですか?」と聞いたとする。
未来の自分が微笑んで「はい」と答える。安堵する。でも、その瞬間から何かがずれはじめる。「幸せになれる」と知ったあなたは、今の苦しみに耐える根拠を手に入れる代わりに、そこへたどり着くまでの手探りの過程を丸ごと失う。ゴールが見えている迷路は、もう迷路ではない。
では「いいえ」と返ってきたら? あなたは当然、その未来を回避しようとする。けれど、あなたの行動が変われば未来も変わる。そのとき、あなたが質問した相手はもう存在しない。「いいえ」と言ったあの人は、あなたが回避に動いた時点で消えてしまう。
「はい」なら過程が壊れ、「いいえ」なら前提が壊れる。どちらに転んでも、問いの構造そのものが自壊する。
知ったら最後
1948年、社会学者ロバート・K・マートンは「自己成就予言」という概念を提唱した。はじめは事実ではなかった思い込みが人の行動を変え、結果としてその思い込みどおりの現実を生み出してしまう現象のことだ。
未来の自分への質問は、この構造を純粋なかたちで再現する。「うまくいく」と聞けば安心してそちらへ進み、「うまくいかない」と聞けば全力で軌道修正を図る。どちらにせよ、答えを知った瞬間、あなたは知らなかったときの自分とは別の人間になっている。
知ることそのものが未来を書き換えてしまう。だとすれば、未来の自分に質問するとは、未来を覗くことではなく、未来に手を突っ込んでかき回すことだ。
過去だけが優しい
ところで、対になるもうひとつの定番がある。「過去の自分にひとつだけ伝えられるとしたら?」。こちらには、ほとんどの人が迷わず答える。「あの株を買え」「あの選択をやめろ」「もっと早く始めろ」。
過去への伝言は修正だ。結果はもう出ていて、正解がわかっていて、それをまだ知らない自分に教えてやるだけでいい。後出しジャンケンのようなもので、そこに葛藤はない。人生をやり直せるとしたら、という問いが気楽なのも同じ理由だ。
でも未来への質問は根本的に違う。未来にはまだ正解がない。質問を選ぶこと自体が、結末の決まっていない物語に最初の一行を書き込むことになってしまう。
ハイデガーは人間の存在のありかたを「投企(Entwurf)」と表現した。人間は常に、まだ来ていない未来に向かって自分自身を投げ出しながら生きている。何者かになろうとし、何かを理解しようとし、可能性に向かって開かれていること。それ自体が、人間という存在の基本構造だ、と。
未来の自分に会うというのは、この運動を止めることに等しい。着地点が見えてしまった跳躍は、もはや跳躍とは呼べない。
逃げ道はない
ここまで考えると、ひとつ「賢い」手が浮かぶ。「何を聞けばいいですか?」と聞く。最適な質問の選択という重荷を、未来の自分に丸投げするわけだ。
でもこれは何も解決しない。未来の自分が「こう聞け」と教えてくれたとして、その答えをさらに聞かなければならない。問題が一段先送りになるだけだ。
もし未来の自分が「何も聞くな」と答えたら? それはそれでひとつの回答ではある。ただし、その忠告を受け取った時点で、すでに何かを知ってしまっている。「聞くべきではない」という情報を。
沈黙のほうが怖い
もうひとつだけ想像してみよう。未来の自分が、質問に答えなかったとしたら。
無視。沈黙。あるいは、ただ困ったような顔。
それは何を意味するだろう。答えたくないのか。答えることで何かが取り返しのつかないことになると知っているのか。あるいは、そこには誰もいないのか。
答えがないということは、未来がないということだろうか。未来はあるけれど、答える価値がないということだろうか。あるいは、現実はそもそも返事をしないものなのか。
沈黙は、どんな言葉よりも多くの可能性を含んでしまう。
聞いてどうする
結局のところ、この問いが突きつけているのは「何を聞くか」ではない。
あなたは自分の未来を知りたいのか、ということだ。不安を解消したいのか。確認したいのか。それとも、先が見えないということに、実はどこかで救われているのか。
知らないから走れる。見えないから選べる。不確かだから、今日やることに意味が宿る。
もしそうなら、未来の自分に聞けることがあったとしても、聞かないほうがいい。聞かないことが、たぶん、あなたにできる最後の自由だ。
......いや、本当にそうだろうか。
「聞かない」と決めること自体が、すでにひとつの答えを選んでいないか。「知らないでいたい」という態度は、未来が怖いという告白ではないか。問いに出口がないのなら、「聞かない」もまた、逃げられなかった人間の精いっぱいのポーズにすぎない。
どこまでいっても、鏡の中の鏡。
だからこそ、みんなが宝くじの番号と答えるのは、もしかすると、ものすごく正しい判断なのかもしれない。