倫理と思考実験
私という凡庸
あなたの代わりはいる。それも、かなりたくさん。人間にも機械にも。 これは侮辱ではない。観察だ。深い穴を何十年もかけて掘り続けてきた専門家がいて、あらゆる穴の構造を瞬時に把握できるAIがいて、あなたはシャベルすら持たずにその傍らに立っている。素人として。 ある企業のインターンシップに参加したとき、期待されたのは「哲学を学んでいる人間ならではの視点」だった。だが哲学を学んでいるからといって、人を唸らせるような洞察が自動的に湧いてくるわけではない。当然だ。哲学は知識の自動販売機ではないし、「ならではの視点」はボタンを押して出てくるものではない。 深さも広さも足りないとき、残っているのは何だろう。たぶん、何も残っていない。だがその「何もなさ」のほうに、少しだけ面白い問いがある。 以下は、そのあたりのことを真夜中に考えていたら、いつのまにか遠くまで漂流してしまった思索の記録だ。答えは用意していない。答えがないことが答えだ、とすら言うつもりはない。ただ、考えてしまった。深夜の、誰にも頼まれていない時間に。 代替可能 すべては交換可能である 産業革命は肉体を機械に置き換えた。AIは認