倫理と思考実験
世界はそこで終わっている
あなたが今この瞬間に感じていることを、正確に言葉にしてみてほしい。 無理だ。 「悲しい」に似ているかもしれないが「悲しい」ではない。「不安」でもない。もっと輪郭がぼやけていて、もっと捉えどころがない。言葉にしようとした瞬間に、別の何かにすり替わる。いつも少しだけ足りない。いつも少しだけ嘘になる。 そしてここに、素通りするには不穏すぎる問いがある。言葉にできないその感覚は、「存在している」と言えるのか。もし言えないなら、あなたの内側には、あなた自身にさえ見えていない領域が、いったいどれほど広がっているのか。 名前のないものは存在しない ポルトガル語に "saudade" という言葉がある。失ったもの、あるいは最初から手にしなかったものへの、甘く痛みを帯びた切望。日本語にも英語にも、ぴったり重なる一語はない。 日本語には「木漏れ日」がある。葉の隙間からこぼれ落ちる光。英語話者がこの現象を目にしないわけではない。ただ、それを一語で切り取る道具を持たない。ドイツ語には "Schadenfreude" がある。他人の不幸への密かな喜び。日本語話者もその感覚を知っているだろうが、それ