Sakashita Yasunobu

Drawn to whatever quietly asks to be noticed. Each entry here is an attempt to hold something briefly before it changes — not to preserve it, but to acknowledge that it was once worth pausing for.

Japan
Sakashita Yasunobu

ことばと文学

なぜ私たちは書くのか

何かを問うとき、私たちはしばしば、すでに答えを知っている。 問いの逆説 たとえば、議論の場で質問が出ない光景を思い浮かべてほしい。参加者は質問を考えているようで、実は探しているのは問いではなく、期待する答えの方だ。「こう言ってほしい」という感覚がまずあって、それを質問の形に翻訳しようとしている。少し考えれば自力で辿り着けそうだと気づけば、結局聞かない。 これは怠惰ではない。問いの構造そのものがそうなっている。 一方で、純粋に知らないことを尋ねる場面もある。明日の天気。専門外の事実。自分の経験の外にある情報。これらは情報の要求であり、検索すれば事足りる。便利ではあるが、そこに対話としての深みはない。 この二種類の間に、もう一つの問いがある。答えの輪郭はぼんやり見えている。しかし言葉にならない。自分が何を考えているのか、書いてみるまでわからない。この第三の問いにこそ、書くことの核がある。 自己との対話 書くとは、自分の中の曖昧な感覚を言語に変換する作業だ。変換の過程で、自分が何を考えていたかが初めて明らかになる。言語化された考えに対して、今度は自分自身が批判者として応答す

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

比喩の美しさと危うさ

私の尊敬する書き手たちは、比喩を魔法のように使いこなす。たった一つの比喩が、長い説明よりも正確に、読者の胸に像を結ぶ。そういう文章に出会うたびに、自分もこんなふうに書けたらと思わずにはいられない。 近年、誰もが自由に書ける環境が整い、エッセイの書き方やレトリックのテクニックについて語られる機会も増えた。比喩のコツをまとめた記事だって珍しくない。しかし比喩というのは、テクニックの枠に収まりきらないものだと思う。もっと根の深い、もっと本質的な何かが関わっている。 比喩が成立するための前提 比喩が伝わるためには、書き手と読み手が前提を共有していなければならない。 平成生まれの人に昭和の日常感覚を使った比喩を持ち出しても伝わらない。これは世代間の知識差の問題のように見えるが、本質はもっと広い。比喩は、共有された経験や知識の土台がなければ機能しない。 学術論文やIR資料に比喩がほとんど登場しないのは、この共有を保証できないからだ。多様な読み手を想定する場面では、比喩は正確な伝達を妨げるリスクになる。逆にいえば、比喩が真に力を発揮するのは、書き手と読み手のあいだに豊かな共通基盤があると

By Sakashita Yasunobu
雨の日の道路にいたイモリらしきもの

日常の構造

雨の日の道路にいたイモリらしきもの

雨の日、濡れた道路の上をのそのそ歩いている生き物を見つけた。帰りにはもういなかった。元気にしているといい。 おそらくアカハライモリ 断言はしないが、体の特徴からしてアカハライモリ(Cynops pyrrhogaster)ではないかと思う。 * 皮膚が細かい粒状でしっとりしている。爬虫類のヤモリとは質感が違う * 体が細長く、尾が長い * 指先にヤモリのような吸盤がない * 頭の形がサンショウウオよりも平たく、いわゆる「イモリ顔」 * 体の縁にうっすら赤みがある アカハライモリは日本の固有種で、本州、四国、九州の水辺に広く生息する両生類である。雨の日に道路に出てくるのは、水辺の間を移動する途中でよくあることらしい。 腹側を確認すれば赤い模様の有無でもっとはっきり分かるのだが、そこまでする機会はなかった。 イモリとヤモリ 名前が似ているので紛らわしいが、イモリとヤモリはまったく別の生き物である。 * イモリ: 両生類。皮膚がしっとりしていて、水辺にいる。「井守」(井戸を守る) * ヤモリ: 爬虫類。皮膚が乾いていて、壁や天井に張り付く。「家守」(家を守る)

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ことばと文学

電子のゴミ

私は自分がつくるものをすべて「電子のゴミ」と呼んでいる。 別に気取っているわけでも、深刻ぶりたいわけでもない。ただ、少しだけ正直に言ってみただけだ。 文章を書く。写真を撮る。何かをつくる。それらはすべてデジタル機器の上で行われている。物理的に見れば、CPUの演算、RAMに保持された一時的な電荷、ストレージ上の微小な磁気パターン、ネットワークを流れる電気信号。いってしまえば、電子がどこかに移動して、どこかに留まって、その程度のことだ。 もちろん、厳密にはそう単純ではない。デジタルとはいえ、その土台にはアナログな物理過程がある。何かを書く行為が世界にまったく影響を及ぼさないとは言い切れないし、ちょっとした発信が思わぬ波紋を呼ぶことだってある。 でも、と思う。 画面に映る文字は液晶の発光パターンだ。紙に印刷すればインクの染みだ。ディスプレイの電源を落とせば、表示されていたものは消える。LEDが光を放つのも、インクが紙に定着するのも、結局は物理現象に過ぎない。 自分がそのとき抱いた価値。それは、LEDのちらつきだったのかもしれないし、インクのシミだったのかもしれない。 だから、電

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ことばと文学

日本語を外から見る

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 日本語の母語話者にとって、日本語は空気のような存在である。意識せずに話し、意識せずに聞き取り、意識せずに読み書きする。だからこそ、日本語を「外国語」として捉え直す視点は新鮮な発見に満ちている。 外国語として日本語を眺めると、普段は当たり前すぎて気にも留めない仕組みが、実は精緻な体系をなしていることに気づかされる。「です」「ます」の語尾でウが聞こえないのはなぜか。「は」と「が」の使い分けを外国人に説明できるか。「雨に降られた」がなぜ成立するのか。母語話者であるがゆえに見えなくなっているこうした問いに対して、日本語学と日本語教育学は明快な分析の枠組みを提供してくれる。 本シリーズでは、日本語の音声・文字・語彙・文法・語用の各領域を8本の記事にまとめた。日本語を教える立場からの知見を軸にしつつ、言語学的な分析も交えている。個別の記事は独立して読めるが、以下の順に読み進めると体系的に理解しやすい。 音声と文字 日本語の音声体系 日本語の音の世界を概観する記事。英語のような強弱ではなく高低で

By Sakashita Yasunobu

大学

大学のあり方を問う

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 社会は変わり、大学を取り囲む環境も大きく変わった。少子高齢化、グローバル化、情報技術の進展。こうした変化のなかで大学は何を求められ、どこへ向かおうとしているのか。 筆者は大学の講義を通じて、大学政策に関するレポートを毎回のテーマに沿って執筆した。そのなかで見えてきたのは、大学という組織が抱える課題の多面性である。経営、ガバナンス、入試、研究、地域貢献、国際化。それぞれが独立した問題でありながら、根底では互いにつながっている。 本稿ではこれらのレポートを5つの視点から整理し、各記事への案内とする。 大学と社会 大学は社会のなかでどのような存在なのか。この問いは他のすべてのテーマの出発点となる。 大学と社会の関係性では、企業と大学の類似点に着目し、「公共経営」という概念を手がかりに、大学が企業的手法を取り入れる背景を考察した。営利を目的としない大学がなぜ企業と似た振る舞いを見せるのか。その答えは、公共的課題の解決という共通の目的にある。 大学の理念と個性では、私立大学の教育理念を具体的

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ことばと文学

ポーから読むアメリカ文学

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 エドガー・アラン・ポーという一人の作家が、アメリカ文学にどれほど深い刻印を残したか。その全体像を一つの記事で語り尽くすのは難しい。ミステリというジャンルの発明者であり、アメリカ・ロマン派のもっとも暗い側面を体現した作家であり、世界文学に計り知れない影響を及ぼした存在でもある。 本稿は、ポーを起点にアメリカ文学とミステリの世界を概観するための入り口として書かれた。個別の記事では扱いきれなかった全体の見取り図をここで示し、各記事への案内としたい。 ポーが切り拓いた二つの道 ポーの文学的業績は、大きく二つの方向に伸びている。 一つはミステリの発明だ。1841年に発表された『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説として文学史に位置づけられている。名探偵オーギュスト・デュパンを主人公とするこの短編は、密室殺人、論理的推理、意外な犯人という、今日のミステリに受け継がれるほぼすべての約束事を一作で確立した。ポーはわずか五つの短編で、コナン・ドイルからクリスティ、チャンドラーに至るあらゆるミステリ作家が立

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ことばと文学

名探偵たちの部屋

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ミステリの主人公である探偵たちはどこに住み、どのような空間で事件に向き合っているのか。一見些末なディテールに思えるかもしれないが、探偵の居住空間はそのキャラクターの本質を映す鏡であり、ひいてはミステリというジャンルの変遷をも映し出している。本稿では思索派から行動派、男性から女性へと探偵像が変化するなかで、その住まいがどのように描かれてきたかを辿る。 二つのタイプの探偵 ミステリに登場する探偵は、大きく二つのタイプに分けられる。 一つは思索派の探偵だ。本格ミステリに登場する安楽椅子探偵たちがこれにあたる。デュパン、シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、ミス・マープル。自らの脚よりも頭脳を駆使することを重視し、推理すなわち謎解きの面白さで読者を惹きつける。 もう一つは行動派の探偵だ。ハードボイルド・ミステリに登場するタフガイな探偵たちがこれにあたる。1920年代のアメリカで台頭し、サム・スペード(ダシール・ハメット作)やフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラー作)が代表格だ。

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ことばと文学

本格ミステリの系譜

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 エドガー・アラン・ポーが1841年に切り拓いたミステリというジャンルは、その後一世紀あまりのあいだに驚くほど多様な枝葉を伸ばした。サスペンス、ハードボイルド、警察小説、スパイ小説。それぞれが独自の魅力を持ちながら、共通の幹としてポーが植えた一本の木につながっている。本稿ではまずミステリの主要なサブジャンルを概観したうえで、とりわけ「本格ミステリ」と呼ばれる領域に焦点を当て、その技法と系譜を辿る。 ミステリの多様な枝葉 サスペンスは、主人公の不安や緊張といった心理を描くことに重点を置くジャンルだ。論理的な謎解きよりも恐怖体験に重心があり、心理小説としての色彩が強い。ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』(1942)やルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』(A Judgement in Stone, 1977)がその代表作として知られる。アルフレッド・ヒッチコックはサスペンスとスリルとショックの違いをこう説明した。「テーブルの下に爆弾が仕掛けられていて、観客だけがそれを知っている。登場人物

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ことばと文学

黒猫とアメリカの闇

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 エドガー・アラン・ポーは世界初の推理小説『モルグ街の殺人』の作者として知られるが、彼の文学的業績はミステリの発明だけにとどまらない。ポーはアメリカ・ロマン派のもっとも暗い側面を体現した作家でもあった。1843年に発表された短編『黒猫』は、人間心理の奥底に潜む「闇の力」を描いた作品であり、アメリカ文学におけるロマン主義の本質を理解するうえで欠かせない一作である。 アメリカ・ロマン派の思想的背景 『黒猫』を読み解くためには、まずアメリカにおけるロマン主義の位置づけを確認しておく必要がある。 西洋文学史は大きく、古典主義からロマン主義、そしてリアリズムへと流れをたどる。古典主義は古代ギリシア・ローマの理想化された作品への回帰を志向し、リアリズムは19世紀半ばに社会や日常をあるがままに描く流れとして現れた。その間に位置するロマン主義は18世紀末にヨーロッパで興起し、感情や神秘体験、想像力を重視して、形式的な制約からの解放を追求した。 アメリカにおける思想の流れはさらに独自の展開を見せる。16世

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ことばと文学

ポーとミステリの誕生

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ミステリとは何か。この問いに対する答えは、時代や論者によって少しずつ異なる。 江戸川乱歩は1951年の『幻影城』において「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く径路の面白さを主眼とする文学である」と定義した。一方、イギリスの批評家H・R・F・キーティングは1987年の『Crime and Mystery: The 100 Best Books(ミステリ百選)』において、ポーからP.D.ジェイムズに至る100作を選出しながら「エンタテインメントとしての価値を第一に書かれた小説であり、その主題が何らかの犯罪の形をとっている小説」をミステリの基本的な枠組みとして論じている。両者に共通するのは、犯罪にかかわる謎解きが物語の核であるという認識だ。 ところが、これらの定義には欠けているものがある。乱歩の定義はいわゆる「本格ミステリ」にしか当てはまらず、サスペンスやハードボイルドのような幅広いミステリの領域をカバーできない。そしてどちらの定義にも、主人公への視点が含ま

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ことばと文学

モダリティと語用論

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 文法的に正しい文を作れるだけでは、円滑なコミュニケーションは実現しない。話者の態度を表すモダリティ、場面に応じた文体の選択、談話の一貫性、そして語用論的な配慮まで、日本語のコミュニケーションには多層的な知識が求められる。本稿ではこれらの領域を概観する。 モダリティ: 話者の態度を表す モダリティとは、命題(出来事の内容そのもの)に対する話者の態度や判断を表す文法カテゴリーである。「田中さんが来る」という命題に対して、「来るだろう」(推量)、「来るかもしれない」(可能性)、「来るはずだ」(当然の推論)、「来なければならない」(義務)など、話者の主観的な判断が加わる。 認識的モダリティ 話者の確信度を表すモダリティで、日本語には段階的な表現がある。 確信度が高い順に並べると、「に違いない」(ほぼ確実)→「はずだ」(論理的な推論に基づく確信)→「だろう/でしょう」(推量)→「かもしれない」(可能性)となる。「田中さんは来るに違いない」は「間違いなく来る」という強い確信、「来るかもしれない

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