あなたのことは何も書いていない
あなたは他人から好かれたいと思っている。あなたには使いきれていない能力がある。外向的に振る舞うこともあるが、内心では不安で、ときどき自分の選択が正しかったのか疑っている。
もし今、少しでも「当たっている」と感じたのなら、それはあなたのことを知っているからではない。あなたが、自分のことを知ってほしいと思っているからだ。
全員に同じ手紙を送った
1949年、心理学者バートラム・フォアラーは学生39人に性格検査を受けさせた。一週間後、「個人別の結果」として全員にまったく同じ文章を手渡した。新聞の星座占いコラムから抜き出した13の記述。「あなたには他人から好かれたいという強い欲求がある」「あなたは自分自身に対して批判的になる傾向がある」「外見上は規律正しく自制心があるが、内面では不安で心配性なところがある」。
学生たちはその記述の正確さを5点満点中、平均4.26と評価した。
この現象は後にバーナム効果、あるいはフォアラー効果と呼ばれるようになった。サーカスの興行師P.T.バーナムの「誰にでも当てはまることを言え」という戦略にちなんで。フォアラーの論文のタイトルは "The Fallacy of Personal Validation"。個人的検証の誤謬。性格検査であれ、占いであれ、水晶球であれ、本人が「当たっている」と感じたことは正確さの証拠にならない。
だが本当に不穏なのは、この知見が75年以上前に発表され、心理学の入門講義で毎年のように再現され続けているにもかかわらず、人間がまったく同じ仕掛けに引っかかり続けているという事実のほうだ。2025年のナント大学の研究(Gonthier & Thomassin)でも、バーナム効果の頑健性は改めて確認されている。知っていても逃れられない。これはもはやバグではなく、人間の仕様なのかもしれない。
信じたいから当たる
なぜ人はこれほど簡単に騙されるのか。いくつかの心理的メカニズムが共犯関係を結んでいる。
ひとつは主観的検証(subjective validation)。関連のない二つの出来事のあいだに意味のある関係を見出してしまう傾向のこと。「あなたは慎重な一面がある」と言われたとき、人は自分の過去を検索して、慎重だった場面をひとつでも見つければそれで十分だと感じる。反例は記憶の奥に沈む。
もうひとつは確証バイアス。当てはまる証拠だけを拾い、当てはまらない証拠を無視するメカニズム。心理学者レイ・ハイマンはコールドリーディング(相手の情報を事前に持たないまま、さも知っているかのように語る技術)の研究のなかで、人間のコミュニケーションの根本的な性質を指摘している。あらゆる言葉は不完全であり、受け手はつねに創造的な問題解決者として意味を「構成」している、と。占い師の言葉を受け取る人は、当たった部分だけを記憶に残し、外れた部分は忘却する。時間が経つほど「ヒット」の記憶だけが鮮やかに残る。「なんとなく当たっている」という感覚は、そうやって作られる。
そして社会的望ましさ。バーナム効果が最も強く作動するのは、記述が肯定的で好意的なときだ。「あなたには隠れた才能がある」と言われて否定する人はいない。否定することは自分を低く評価することを意味する。人は自分について良いことを信じたい。というより、良いことを信じることをやめられない。
これらのメカニズムが重なるとき、曖昧な記述は「私だけに当てはまる真実」へと変わる。だがそこに認識はない。あるのは信じていることと知っていることの区別がつかなくなった状態だけだ。
16のラベル、70億の錯覚
星座占いにバーナム効果が作動していることを認める人は多い。だが、MBTIに同じ効果が作動していることを認める人は少ない。
MBTIは16の性格類型に人間を分類する。各類型には数ページにわたる記述が用意されている。外向的で直感的、思考型で判断型のENTJ。内向的で感覚的、感情型で知覚型のISFP。これらの記述はすべて、肯定的で、曖昧で、誰にでも部分的に当てはまるように設計されている。心理学者ロナルド・リジオはこう指摘している。「基本的な記述を読むと、すべて肯定的に書かれている。心理学者はそれをバーナム効果と呼ぶ」。
就活の自己分析も同じ構造を持っている。「自分の強みは〇〇です」と答えるとき、その強みは本当に自分で発見したものだろうか。それとも自己分析ツールが提示した選択肢に誘導された結果だろうか。ストレングスファインダーが「あなたの強みは学習欲です」と告げる。学ぶことが好きでない人間などほとんどいないことには触れないまま。
もっと新しい例もある。ChatGPTに「私の性格を分析して」と頼めば、好意的で、曖昧で、どこか心地よい記述が返ってくる。バーナム効果のアルゴリズム版。占い師を大規模言語モデルに置き換えただけで、私たちは同じ鏡を覗き続けている。
分類すること自体が悪いわけではない。問題は、分類が認識の代用品として機能してしまうことだ。ラベルを与えられた瞬間、人は自分をそのラベルを通して見はじめる。名前というものは、そもそもそういう力を持っている。名前が先にあり、自分が後からついていく。
名前が病をつくる
科学哲学者イアン・ハッキングは「ループ効果」(looping effect)という概念を提唱した。人間を分類するカテゴリは、分類された人間自身の行動を変え、その結果としてカテゴリの意味もまた変わっていく。ラベルは現実を記述するのではなく、現実を構成する。
精神医学はこの力を最もよく知っている。診断名がつくと、症状が「見える」ようになる。ADHDと診断された人は、自分の不注意をADHDのフレームで解釈しはじめる。診断以前には単なる「集中が途切れた瞬間」だったものが、「症状の発現」に変わる。名前が先にあり、病が後からやってくる。
バーナム効果もまた、このループの一部として作動している。「あなたは繊細な人です」と言われた人は、自分の行動のなかに繊細さの証拠を探しはじめる。そして見つける。なぜなら、人間の行動は十分に複雑で、どんな形容詞の証拠も掘り起こせてしまうからだ。
朝の星座占いが「今日は新しい出会いがあるかもしれません」と告げる。あなたは無意識のうちに出会いを探す目になる。カフェで隣に座った人に少しだけ多く注意を払う。帰り道、「確かに出会いがあった」と思う。予言が予言自身を成就させている。認識が現実を追い越している。
ここでもう一つの問いが姿を現す。もし人間が自分自身について客観的な記述を受け取ることも、発することもできないのだとしたら、自分について語るとはそもそも何をしているのか。
鏡に映っているのは鏡だけ
バーナム効果が最終的に突きつけるのは、人間は自分自身の信頼できる観察者ではないという事実だ。
私たちは自分の能力を正しく評価できない。自分の信念と知識の区別がつかない。自分の感情の出処を特定できない。自分の記憶を改竄する。そして、そのすべてをやりながら、自分のことはよく分かっていると信じている。
自己認識の道具として性格診断を使い、占いを使い、AIを使う。だがどの道具を使っても、返ってくるのは自分が聞きたかった答えだけだ。道具が映し出しているのはあなたではなく、あなたの期待にすぎない。
「私」とは何かという問いに、性格診断は4文字のアルファベットで答えようとする。星座占いは12のカテゴリで応じる。だが4文字にも12のカテゴリにも、あなたのことは何も書かれていない。書かれているのは、あなたが信じたがっていることだけだ。
フォアラーの学生たちは、全員が同じ文章を受け取っていたと知らされた後、何を思っただろう。
おそらく、次に性格診断を受けたとき、また「当たっている」と感じたはずだ。知っていても逃れられない。それがバーナム効果の本当の残酷さだ。
自分を知りたいという欲望が、自分を知ることを永遠に妨げている。そしてその欲望自体を手放す方法は、たぶん、どこにもない。