写真のしくみ ㊳ 目とカメラはそっくりなのになぜ写真と見た目は違うのか
光はまっすぐ進み、レンズは世界をひっくり返す。写真と映像にひそむ小さな「なぜ?」を、数式なしで解き明かす全40回。
前回は、画面や紙の上で写真の色がどう再現されるかを見ました。今回は視点をぐるりと変えて、写真を「見る」側、つまり人間の目のしくみに迫ります。
きみは今、この文章を読んでいます。
当たり前のことですが、ちょっと立ち止まって考えてみてください。きみの目は、どうやってこの文字を「見て」いるのでしょう? じつは、目のしくみをよく調べてみると、カメラとびっくりするほど似ていることがわかります。でも、決定的にちがうところもある。今回は、「見る」という行為の正体にせまっていきましょう。
カメラのパーツと目のパーツを並べてみよう
カメラの基本的なしくみを思い出してみてください。レンズが光を集めて、絞りが光の量を調節して、センサー(またはフィルム)が光を記録する。この3つが写真を撮るための基本セットでした。
人間の目にも、この3つにあたるパーツがちゃんとあります。
角膜と水晶体 → レンズ
目の一番外側にある透明な膜を「角膜(かくまく)」といいます。光は最初にここを通ります。角膜はカーブしていて、光を大きく曲げます。じつは、目に入る光の屈折のうち大部分をこの角膜が担っています。
その奥にある「水晶体(すいしょうたい)」は、カメラでいえばフォーカスレンズにあたります。水晶体はやわらかくて弾力があり、まわりにある筋肉(毛様体筋)が縮んだりゆるんだりすることで形が変わります。近くを見るときは毛様体筋が縮んで水晶体がふくらみ、遠くを見るときは毛様体筋がゆるんで水晶体が薄く平たくなる。カメラのオートフォーカスのように、ピントを合わせているわけです。
虹彩 → 絞り
目の色がついている部分、あれが「虹彩(こうさい)」です。虹彩のまんなかに開いている穴が「瞳孔(どうこう)」で、ここから光が目の中に入ります。
明るいところでは虹彩がぎゅっと縮んで瞳孔が小さくなり、暗いところでは大きく広がります。カメラの絞りとまったく同じ役割です。カメラでF値を変えて光の量を調節するのと同じように、虹彩は光の量を自動で調節しています。
網膜 → イメージセンサー
目の奥にある「網膜(もうまく)」は、光を受け取る役割を果たしていて、カメラでいうイメージセンサーにあたります。網膜には約1億2000万個の「桿体(かんたい)」と約600万個の「錐体(すいたい)」という2種類の視細胞がびっしりと並んでいます。桿体は暗いところで明るさを感じとるのが得意で、錐体は明るいところで色を見分けるのが得意です。
カメラのイメージセンサーにも、光を受け取る画素(ピクセル)がずらりと並んでいますよね。やっていることは、とてもよく似ています。
こうして並べてみると、「なんだ、目ってカメラと同じじゃないか」と思うかもしれません。
でも、ここからが面白いところです。
目は「全部くっきり」なんて見えていない
カメラのシャッターを切ると、写真のピントが合った部分は、画面の端から端まで同じようにくっきり写ります。ところが、人間の目はまるでちがいます。
ちょっと試してみてください。
この文章のどれか1文字をじっと見つめたまま、目を動かさないでください。そのまま、視界のはしっこにあるものを「読もう」としてみましょう。
……読めませんよね?
人間の目で本当にくっきり見えているのは、視界のほんの中心部分だけです。網膜の中央に「中心窩(ちゅうしんか)」という小さな領域があります。ここに錐体がぎゅっと密集していて、ものを細かく見分ける力がとても高い。しかし、くっきり見えるのは視野のうちたった1度から2度くらいの範囲にすぎません。腕をまっすぐ伸ばしたとき、親指の爪くらいの大きさです。
「えっ、そんなに狭いの?」と驚いた人もいるでしょう。そうなのです。きみの目は、一度にほんの少ししかくっきり見えていません。写真のように画面全体がシャープ、なんてことは目には起きていないのです。
脳が「見えている世界」をつくっている
でも、ふだんの生活で「視界のはしがぼやけている」なんて感じませんよね。なぜでしょう?
答えは「脳」にあります。
人間の目は、1秒間に3回から4回ほど「サッケード」と呼ばれる素早い動きをくりかえしています。あちこちに視線をパッパッと飛ばして、そのたびに中心窩でちいさな「くっきり画像」を拾い集めているのです。
そして脳が、そのバラバラの断片をつなぎ合わせて、一枚の「世界の絵」に組み立てています。きみが「自分は広い世界を一度にくっきり見ている」と感じているのは、目が見た光そのものではなく、脳がつくりあげた作品のほうを見ているからです。
言いかえると、目は「カメラ」というよりも「スキャナー」に近い存在です。1回のスキャンでは狭い範囲しか読み取れないけれど、何度もスキャンした結果をつなぎ合わせて、一枚の大きな画像に仕上げている。
カメラは、シャッターを切った瞬間の光をそのまま記録します。目は、常に動き続けて、脳がリアルタイムで「映像」を編集し続けている。ここが、目とカメラの最大のちがいです。
暗いところで目が慣れるふしぎ
映画館に入ったとき、最初は真っ暗で何も見えないのに、しばらくすると座席がうっすら見えてきます。この現象を「暗順応(あんじゅんのう)」といいます。
カメラでいえば、ISO感度を上げる操作に似ているかもしれません。暗い場所でISO感度を高くすると、少ない光でも明るく写せるようになります。目もまた、暗い環境に合わせて「感度」を上げているように見えます。
でも、しくみはかなりちがいます。
カメラのISO感度は、センサーが受け取った電気信号を増幅する(大きくする)ことで明るくしています。だから信号といっしょにノイズ(ザラザラ)も増えてしまいます。
一方、目の暗順応はおもに網膜の中の化学反応によって起きています。暗い場所にしばらくいると、桿体の中にある「ロドプシン」という光を感じとるための物質が少しずつ再生され、わずかな光にも反応できるようになっていくのです。
暗順応のスピードは、錐体と桿体でちがいます。色を見る錐体は5分から10分くらいで順応のピークに達しますが、明るさを感じる桿体はもっとゆっくりで、完全に暗順応するには20分から30分くらいかかります。映画館で「だんだん見えてくる」のは、まさにこの過程を体感しているわけです。
そしてここが面白いポイントなのですが、暗い場所でしっかり暗順応した目は、おもに桿体が働いている状態になります。桿体は色を見分ける力を持っていないので、暗順応した状態では色がほとんどわからなくなります。夜、暗い場所で花を見ても色がよくわからないのはこのためです。
カメラなら、ISO感度を上げてもセンサーは色の情報をちゃんと記録できます(ノイズは増えますが)。目とカメラでは「暗さへの対応のしかた」が根本的にちがうのです。
映画館や暗い部屋に入ったとき、時計を見ながら目が慣れていく過程を観察してみましょう。最初の5分ほどで少し見えるようになり、20分を過ぎるとかなりよく見えるようになるはずです。ただし暗順応した状態では色がほとんどわからないことにも注目してみてください。
脳がだまされる? 目の錯覚のひみつ
脳はとても優秀です。でも、優秀すぎるがゆえに「だまされる」ことがあります。それが目の錯覚(錯視)です。
たとえば、MIT(マサチューセッツ工科大学)の視覚科学者エドワード・アデルソンが発表した「チェッカーシャドウ錯視」を知っていますか。チェス盤のようなマス目の上に円柱が立っていて、その影がマス目に落ちている画像です。影の中にある明るいマスと、影の外にある暗いマスを見くらべると、あきらかに明るさがちがって見えます。ところが、じつはこの2つのマスはまったく同じ明るさなのです。
なぜこんなことが起きるのでしょう。
脳は、「影の中にあるものは、本当はもっと明るいはずだ」と自動的に補正をかけています。ふだんの生活では、この補正はとても役に立ちます。たとえば日陰にある白い紙を、ちゃんと「白い紙」として認識できるのは、この補正のおかげです。もしこの補正がなかったら、日陰に入るたびに白い紙がグレーに見えてしまい、とても不便でしょう。
ところが、この補正が強くはたらきすぎると、実際の明るさとはちがうものを「見て」しまいます。しかもやっかいなことに、脳の補正は自動的に、そして常に働いている。「だまされている」と頭では理解していても、正しく見ることができないのです。
色についても同じようなことが起きます。まったく同じ色のものでも、まわりの色が変わるとちがう色に見えることがあります。脳がまわりの環境から「この色はこう見えるべきだ」と判断して、知覚を自動的に調整してしまうからです。
カメラには、こういった「思い込み」がありません。センサーに届いた光を、そのまま数値として記録するだけです。良くも悪くも、カメラは正直なのです。
写真と「見た目」がちがう理由
きれいな夕焼けを写真に撮ったのに、なんだかパッとしない。目で見たときはもっと感動的だったのに。
こんな経験、ありませんか。
あるいは逆に、暗い部屋で撮った写真が実際よりもずっと暗く写ってしまうこともあります。「目で見たときは、もうちょっと明るかったのに」と感じた人もいるでしょう。
この「ズレ」の正体は、ここまで読んできた人にはもうわかるかもしれません。
カメラは、レンズを通って入ってきた光を記録する機械です。もちろん現代のデジタルカメラも色味や明るさにある程度の処理をかけてはいますが、脳の大規模な「解釈」に比べれば、はるかに光の物理量に忠実だといえます。
一方、人間の「見え方」は、脳が大量の後処理をした結果です。暗い部分を持ち上げたり、明るい部分と暗い部分のバランスを調整したり、色を鮮やかに感じさせたり。おまけに、そのときの感情や記憶まで影響します。感動しているときは、景色がいっそう鮮やかに見えたりもするのです。
つまり、カメラが記録するのは「光の物理的な事実」であり、人間が見ているのは「脳が解釈した世界」です。
写真が「見た目と違う」のは、写真が間違っているのではありません。むしろ、人間の「見た目」のほうが、脳によって大きく加工されているのです。
写真の現像やレタッチで明るさや色を調整する作業は、ある意味では、カメラが記録した「物理的な事実」を、人間の「体験としての見え方」に近づけていく作業ともいえます。カメラの使い方を学ぶことは、この「事実」と「体験」のあいだを自由に行き来する力を身につけることなのかもしれません。
この回のまとめ
人間の目とカメラは、パーツの対応関係だけを見るとよく似ています。角膜と水晶体がレンズ、虹彩が絞り、網膜がイメージセンサーの役割を果たしている。しかし、その先にある「しくみ」は大きくちがいます。
- 目は一度にくっきり見える範囲がとても狭い。 中心窩がカバーするのは視野のうちたった1度から2度。画面全体がシャープな写真とはまるでちがいます。
- 脳が「世界」を組み立てている。 目はサッケードで視線を飛ばしながら断片を拾い集め、脳がそれを一枚の映像に仕上げています。目はカメラよりもスキャナーに近い存在です。
- 暗順応は化学反応で、カメラのISO感度とはしくみがちがう。 桿体のロドプシンが再生されることで感度が上がりますが、完全に順応するには20分から30分かかります。しかも暗順応した状態では色がほとんど見えなくなります。
- 脳は明るさや色を自動的に補正している。 この補正はふだんとても役に立ちますが、いきすぎると「錯覚」として現れます。知っていてもだまされてしまうのが錯覚の面白さです。
- カメラは光を忠実に記録し、脳は光を解釈する。 写真と見た目がちがうのは、写真が間違っているのではなく、脳の「解釈」が加わっているからです。
カメラが光の「記録係」だとするなら、目と脳のチームは光の「翻訳者」です。同じ光を受け取っていても、出てくる結果はまるでちがう。写真を撮るとき、この「ちがい」を知っているだけで、カメラとの付き合い方が少し変わってくるはずです。
次の回では、写真家が追い求める特別な光の時間帯、ゴールデンアワーとブルーアワーの科学を見ていきましょう。