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哲学を読む

論理が未来を一本の線に縛る

明日、海戦は起こるか。 2300年以上前にアリストテレスがこの問いを立てた。答えは出ていない。出ないのではなく、出せない。「起こる」と答えれば未来は決定済みになる。「起こらない」と答えれば海戦は不可能になる。「どちらでもない」と答えれば、論理学の土台が割れる。 あなたは明日の予定を手帳に書き込む。アラームを設定する。友人と約束する。そのすべては、未来が開かれているという暗黙の前提の上に成り立っている。しかしその前提を論理の言葉で正当化しようとした瞬間、足元から地面が消える。 アリストテレスの罠 『命題論(De Interpretatione)』第9章。アリストテレスはここで、すべての命題は真か偽かのどちらかであるという原則、いわゆる二値原理(principle of bivalence)を未来の偶然的事象に適用したとき何が起こるかを問うた。 論理はこう要求する。「明日、海戦が起こる」という命題は、今この瞬間、真か偽かのどちらかである。もし真なら、海戦は必然的に起こる。もし偽なら、海戦は必然的に起こらない。どちらの場合も、未来はすでに確定している。偶然など存在しない。 これ

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学生は下手に履修するより聴講をしろ

大学の授業を受けるには履修登録が必要だ。当たり前のように聞こえるが、実はそうでもない。 履修登録をして単位を取ることと、何かを学ぶことは、本来まったく別の行為だ。この二つを同一視しているかぎり、大学の時間の使い方は窮屈なままだ。 「単位のための勉強」という歪み 履修登録をした瞬間、その科目の成績はGPAに反映される。良い成績を取ればGPAは上がり、悪い成績を取れば下がる。不合格であっても分母に算入される。履修登録とは「この科目で評価を受けます」という宣言であり、同時にGPAを賭ける行為でもある。 問題は、学びたい科目と良い成績を取れる科目が、必ずしも一致しないことだ。 興味はあるが自分の専門から遠い科目。面白そうだが厳しいと聞く講義。他学部で開講されている、基礎知識が足りないかもしれない授業。こうした科目を正規に履修すれば、GPAを賭けた博打になる。 結果として多くの学生は、成績がつきやすい科目を選ぶようになる。合理的な判断だ。しかし合理的な判断を重ねた先に残るのは、合理的だが退屈なカリキュラムだ。指標が目標に変わると、その指標が測ろうとしていたもの自体が歪む。GPAを守

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学に入学してからやるべき最も重要なこと

卒業要件を、自分の言葉で書き出せ。 学内のシステムにログインするためのIDとパスワードを手に入れた。入学式も終わった。サークルの勧誘を受けた。新しい街にも少し慣れた。さて、次に何をすべきか。 答えはひとつだ。卒業するために何が必要かを、正確に把握しろ。 なぜ卒業要件なのか 大学生活には自由がある。高校までのように、時間割が決められているわけではない。何を学ぶか、どの授業を取るか、どう時間を使うかは、基本的に自分で決める。 この自由は、裏返せば「誰も教えてくれない」ということだ。 卒業要件は、大学のWebサイトや学生便覧に書いてある。書いてある。しかし、読んで正確に理解している学生は驚くほど少ない。必修科目の一覧は確認しても、選択必修の条件、自由選択の上限、進級要件、卒業論文の位置づけまで把握している1年生は、ほとんどいない。 そして3年生になってから、「この科目を取っていなかった」「この区分の単位が足りない」と気づく。これは珍しい話ではない。毎年、全国の大学で起きている。 「読んだ」と「理解した」は違う 卒業要件のページを開いて、目を通す。これは「読んだ」ことには

By Sakashita Yasunobu

生きること

何をしても同じだった

宝くじに当たった人と、事故で脊髄を損傷した人がいる。一年後、両者が日常生活から得る幸福感にはほとんど差がなかった。1978年にこの事実が報告されたとき、「幸福の追求」という人類最古のプロジェクトは静かに足元を失った。 当選者と被害者 フィリップ・ブリックマンらが1978年に発表した研究は、幸福研究の古典として今も引用され続けている。イリノイ州の宝くじ当選者22人、対照群22人、そして事故による脊髄損傷者29人。この三つのグループの幸福度を比較した。 結果は直感に反するものだった。 宝くじ当選者の日常的な幸福感は対照群と有意に変わらなかった。それどころか、当選者は日常の些細な出来事から得られる喜びが対照群より有意に低下していた。友人と話す、テレビを見る、朝食を食べるといった何気ない行為が、かつてほどの喜びをもたらさなくなっていた。最大の幸運が、小さな幸福を奪ったのだ。 一方、脊髄損傷者の幸福度は「予想されるほど不幸ではなかった」と研究者自身が記している。日常的な幸福感においては、宝くじ当選者との差は驚くほど小さかった。 ここにあるのは、良い出来事が人を永続的に幸せにするわけ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

届かないとわかっている声を上げる

あなたの一票で世界が変わる。選挙のたびに誰かがそう言う。統計的には、あなたの一票が選挙結果を左右する確率は、雷に打たれるよりも低い。それでも私たちは投票所に足を運ぶ。合理性が崩壊した場所で、民主主義は何食わぬ顔で回り続けている。 あなたの一票が届く確率 1957年、経済学者アンソニー・ダウンズは『民主主義の経済理論』で、ある不都合な計算を示した。投票に行くにはコストがかかる。時間、移動、情報収集の手間。一方で、自分の一票が選挙結果を変える確率は天文学的に低い。期待効用の枠組みで考えれば、投票しない方が得だ。 これが「ダウンズのパラドックス」と呼ばれるものだ。 話は単純に見える。自分の票が決定的になる確率に、候補者間の価値の差を掛け、投票コストを引く。問題は、その「決定的になる確率」がほぼゼロだということだ。有権者を重み付きコインに見立てる二項モデルでは、一票が勝敗を覆す確率は100万分の1ペニーにも満たないと推計される。もう少し楽観的な、過去の選挙データに基づく統計モデルでも、接戦州で1000万分の1程度だ。 宝くじの賞金が2億円だとしても、宝くじを買うことが合理的だとは言

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倫理と思考実験

箱の中身はもう決まっている

あなたが何を選ぶか、もう知られている。 目の前に二つの箱がある。透明な箱Aには1000ドル。不透明な箱Bの中身は、あなたがまだ手を伸ばしていないのに、すでに決まっている。あなたの選択をほぼ完璧に予測する存在が、先に箱の中身を決めたからだ。Bだけ取ると予測されていれば100万ドル。両方取ると予測されていれば空。 さて、あなたはどちらを選ぶ。 いや、正確に言おう。あなたは「選ぶ」ことができるのか。 二つの箱と一人の予測者 1969年、物理学者ウィリアム・ニューカムがこの思考実験を考案し、哲学者ロバート・ノージックが論文 Newcomb's Problem and Two Principles of Choice として世に出した。マーティン・ガードナーが Scientific American で紹介したことで、哲学の外まで広く知られるようになった。 状況を整理しよう。 予測者は、あなたが箱を選ぶ前に、あなたの選択を予測して箱Bの中身を決める。この予測者の的中率は、仮に99%としておく。 * 箱Bだけを取る → 予測者がそう予測していれば、Bには100万ドル

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

言葉を研ぐほど声は遠くなる

哲学書を開いて3ページで閉じた経験は、哲学に興味を持ったことがある人なら一度はあるだろう。「なぜこんなに分かりにくく書くのか」、「わざと難しくしているのではないか」。この疑問は自然だが、答えは「半分当たっていて、半分外れている」である。 難しさの正体は一つではない 哲学の文章が難しい理由は複数あり、それを区別せずに「わざと難しくしている」と括ってしまうことが、誤解の出発点になる。ここでは4つの原因を分けて考える。 精密化の代償 哲学が日常語を避けるのは、日常語が曖昧だからである。「自由」という言葉ひとつとっても、日常会話では「好きにしていいよ」から「政治的自由」まで、文脈によって意味が大きく異なる。哲学はその曖昧さを許容できない。 たとえば「自由意志」を論じるとき、「自由」が何を指すのかを厳密に定義しなければ、議論が成立しない。そのために専門用語を導入し、定義を重ね、限定条件を付す。結果として文章は長く、複雑になる。これは難しくしたいのではなく、正確にしたいのである。 「存在」「本質」「主観」「認識」。これらの語は日常でも使われるが、哲学での意味は日常語とズレている。そ

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大学生活

大学生は履修上限を超える意味がない

視野を広げるために、もっとたくさん授業を取りたい。その意欲は理解できる。しかし、GPAの計算式を一度でも冷静に眺めたことがあるだろうか。そこには、履修を増やすことが構造的に不利な賭けであることが、数式としてはっきり書かれている。 GPAは平均だ 日本の多くの大学で採用されているGPAの計算式は、おおむね次の形をとる。 \[ \text{GPA} = \frac{(\text{成績係数} \times \text{単位数}) \text{の合計}}{\text{総履修登録単位数}} \] 成績係数の割り当ては大学によって異なる。もっとも一般的なのは、秀(S)= 4、優(A)= 3、良(B)= 2、可(C)= 1、不可(D)= 0とする方式だ。AA = 4.3を設ける大学もあるし、Sを設けずA = 4から始める大学もある。分母に不合格科目の単位数を含めるかどうか、再履修で成績を上書きできるかどうかにも差がある。 しかし、どの方式であっても根本の構造は変わらない。GPAは加重平均だ。

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

灯りが消えたことに気づかない部屋

あなたの脳を、ひとつずつ、シリコンチップに置き換えていく。ひとつ。もうひとつ。あなたはまだ笑っている。まだ痛みを訴えている。まだ「意識がある」と言い張っている。860億個すべてが置き換わったとき、あなたの口は相変わらず「私はここにいる」と言うだろう。 問題は、そのとき本当にそこに誰かがいるのかどうかだ。 デイヴィッド・チャーマーズが1996年の著作 The Conscious Mind で提示した思考実験「消えるクオリア(Fading Qualia)」は、意識の問題を砂山の崩壊のように描き出す。一粒の砂を取り除いても山は山だ。では百粒では。一億粒では。意識はいつ消えるのか。そもそも「消える」とはどういうことなのか。そして、消えたことに気づけないとしたら、それはもう消えていないのと何が違うのか。 置き換えられるもの チャーマーズの思考実験は単純な設定から始まる。あなたの脳のニューロンを一つ取り出し、まったく同じ入出力関係を持つシリコンチップに置き換える。そのチップは元のニューロンが受け取っていた信号をそのまま受け取り、元のニューロンが送り出していた信号をそのまま送り出す。外から

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

鏡の向こうにもう一人の私が立つ

あなたの脳を真ん中で割って、左半球をAの体に、右半球をBの体に移植する。どちらも目を覚ます。どちらもあなたの記憶を持っている。どちらもあなたの性格で、あなたの価値観で、あなたの好きな音楽を口ずさむ。 さて、どちらがあなたか。 両方だと言えば、一人の人間が二人になったことになる。どちらでもないと言えば、記憶も性格もそのままなのに、あなたは死んだことになる。片方だけだと言えば、もう片方が「自分はあなただ」と訴えたとき、何と答えるつもりなのか。 デレク・パーフィットが1984年の『理由と人格(Reasons and Persons)』で突きつけたのは、この三択のどれを選んでも行き止まりだという事実だった。そしてパーフィットの答えは、三択そのものを踏み潰すものだった。同一性なんて、そもそも重要ではない(identity is not what matters)。 どこが私という問いは、テセウスの船から転送装置まで手を替え品を替え問われてきた。だがパーフィットの分裂は、その問いの急所を別の角度からえぐる。転送装置が「コピーは本人か」という一対一の問題だとすれば、分裂は「一人が二人になった

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

椅子に座ると耳が遠くなる

あなたが信頼されるのは、共感する能力があるからだ。あなたが慕われるのは、耳を傾けることができるからだ。そしてあなたが権力を手にしたとき、その能力は静かに劣化し始める。本人はそれに気づかない。気づく必要がないからだ。誰もそれを指摘しなくなるからだ。 これは道徳の話ではない。「権力者は悪い人間だ」という素朴な糾弾でもない。共感という能力が、権力という構造のなかで構造的に朽ちていく、そのメカニズムの話だ。 共感で手に入れた椅子 UCバークレーの心理学者ダッカー・ケルトナーは、20年以上にわたって「権力」の心理学を研究してきた。その知見をまとめた著書 The Power Paradox(2016)が示す結論は、直感に反している。 権力を獲得するために最も重要な能力は、冷酷さでも、政治的手腕でも、カリスマでもない。共感だ。 ケルトナーの実験では、大学の寮生活においてどの学生が影響力を獲得するかを追跡した。最初の一週間で周囲から信頼を得た学生が持っていた特性は、熱意、親切さ、傾聴力、落ち着き、そして開放性だった。権力は、他者の生活を向上させる能力を通じて与えられる。優しい人から壊れるの

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

繰り返されてなお残る言葉たちへ

「使い古された表現を避けろ」という助言は、表現を巡る議論のなかで最も使い古された表現の一つだ。 クリシェ(cliché)はフランス語の印刷用語に由来する。活版印刷で繰り返し使う鋳型のことで、同じ型から同じ文字が何度でも刷り出される。そこから転じて「型にはまった独創性のない表現」を指すようになった。ステレオタイプも同じ語源を持つ。型から作られる量産品。 だが型が繰り返されるのには理由がある。何百年、何千年と反復されてなお生き残っている構造は、その持続性自体が何かを証明している。淘汰を生き延びた表現。では何が、それを生き延びさせたのか。 型はプロトコルである 起承転結。序破急。三幕構成。英雄の旅。 物語の「型」は、退屈の原因ではない。書き手と読み手が情報を受け渡すためのプロトコルだ。 ジョーゼフ・キャンベルは『千の顔を持つ英雄』(1949年)で、世界中の神話に共通する物語構造を抽出した。出発、イニシエーション、帰還。この「モノミス」と名づけられた型は、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』の脚本に直接応用したことで広く知られている。しかしルーカスが借りたのは構造であって、物

By Sakashita Yasunobu