倫理と思考実験
嘘に泣く
フィクションに泣くのは、考えてみれば、おかしなことだ。 あなたが涙を流しているその物語は、あなたのために書かれたものではない。あなたの人生を知らない誰かが、あなたとは無関係な架空の人物について、おそらくは締め切りに追われながら書いた。そしてたいていの場合、それは売り物として世に出ている。棚に並び、値札がつき、レビューがつき、星の数で格付けされる。 なのにあなたは泣いている。 歌詞にしてもそうだ。あなたの悩みを歌っているわけでもない。あなたの名前も、あなたの人生も、あなたの失恋も、作詞家は知らない。それでもあなたの胸に刺さる。どうしてだろう。いや、もっと根本的な疑問がある。どうしてそれが「刺さる」などという暴力的な比喩で語られるのだろう。あなたは自分から刺されに行っているのに。 存在しないものに泣いている 哲学にはこの問題を正面から扱った議論がある。「フィクションのパラドクス(paradox of fiction)」と呼ばれる。 1975年、哲学者コリン・ラドフォードは「アンナ・カレーニナの運命になぜ心を動かされるのか(How Can We Be Moved by the