ことばと文学

Language shapes what can be thought. These entries examine how Japanese is structured, how English changed, how stories are built, and what it means to write at all. Linguistics, literature, and the act of putting words in a row.

ことばと文学

なぜ若者は長文を読まないと言われ続けるのか

「最近の若者は長い文章を読まない」。 この言説を聞いたことがない人は、おそらくいないだろう。そして、この言説にはひとつ奇妙な特徴がある。何十年も前から、ほぼ同じ形で繰り返されているのだ。 テレビが普及した1960年代にも、インターネットが広まった2000年代にも、SNSが日常になった2010年代以降にも。時代の主役となるメディアが変わるたびに、同じ台詞が持ち出される。若者は読まなくなった、と。 しかし、本当にそうだろうか。 数字が語ること まず、入手できるデータを確認しておきたい。 OECD加盟国の15歳を対象とした国際学習到達度調査(PISA)の2022年の結果では、日本は読解力で世界3位に位置している。2018年の15位から大幅に順位を上げた。OECD平均が全分野で前回から低下するなか、日本の平均得点は統計的に有意に上昇し、低得点層の割合も減少した。 つまり、少なくとも15歳の読解力に関しては、「低下している」とは言い切れない。 出版市場についても見ておく。経済産業省の分析によれば、紙の出版物の売上は確かに下落傾向にある。しかし電子出版が伸びており、市場規模全体と

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

善意が静かに擦り減る場所で

「いい人ほど損をする」。SNSを開けば毎日のように流れてくるこの言説は、共感を集めやすい。誰しも「自分は頑張っているのに報われない」と感じた経験があるからだ。 だが、この言い方は雑すぎる。「いい人」とは何か。「搾取」とは何か。この2つの定義が曖昧なまま、結論だけが流通している。 「搾取」の定義を分ける まず「搾取」という言葉を分解する必要がある。 マルクス的な意味での搾取は、労働者が生み出した価値の一部を資本家が取得する構造を指す。ここでの搾取は個人の性格とは無関係で、構造そのものに組み込まれている。バイトで時給以上の価値を生み出していても、それはバイトである以上、構造的に当然のことだ。 心理学的な意味での搾取、いわゆる情緒的搾取は、一方が他方の感情を際限なく消費する関係を指す。友人の愚痴を毎晩3時間聞かされる。恋人の機嫌を常に伺い続ける。これは対等な関係における資源の不均衡だ。 そして日常語としての「搾取」は、「なんか割に合わない」という感覚のことを指していることが多い。 この3つは全く別の現象なのに、「搾取される」という一言にまとめられてしまう。 状況別に何が起

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

美術館で何を見ればいいか分からない理由

美術館に行って、困ったことはないだろうか。 白い壁。静かな空間。真剣な顔で作品の前に立つ人たち。あなたはその中に入り、最初の作品の前で立ち止まる。キャプションを読む。作品を見る。何も起きない。隣の人は何かを感じているように見える。腕を組み、小さく頷き、しばらく動かない。あなたは不安になる。自分には何かが足りないのではないか。感受性が欠けているのではないか。 安心してほしい。「何を見ればいいか分からない」は正直な反応であり、恥ずかしいことではない。問題はあなたにではなく、美術館という空間が暗黙に要求しているものにある。 「感じればいい」は何の役にも立たない 美術鑑賞についてアドバイスを求めると、高い確率で返ってくるのが「難しく考えなくていい、感じればいい」という言葉だ。 善意から出た言葉だろう。しかし、これはほとんど何も言っていない。「感じろ」と言われて感じられるなら、最初から困っていない。感じ方が分からないから困っているのだ。 「感じればいい」は、美術に親しんでいる人が自分の経験を言語化できないときの逃げ口上にすぎないことがある。長年の蓄積によって身体化された鑑賞の技術を

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

言葉を研ぐほど声は遠くなる

哲学書を開いて3ページで閉じた経験は、哲学に興味を持ったことがある人なら一度はあるだろう。「なぜこんなに分かりにくく書くのか」、「わざと難しくしているのではないか」。この疑問は自然だが、答えは「半分当たっていて、半分外れている」である。 難しさの正体は一つではない 哲学の文章が難しい理由は複数あり、それを区別せずに「わざと難しくしている」と括ってしまうことが、誤解の出発点になる。ここでは4つの原因を分けて考える。 精密化の代償 哲学が日常語を避けるのは、日常語が曖昧だからである。「自由」という言葉ひとつとっても、日常会話では「好きにしていいよ」から「政治的自由」まで、文脈によって意味が大きく異なる。哲学はその曖昧さを許容できない。 たとえば「自由意志」を論じるとき、「自由」が何を指すのかを厳密に定義しなければ、議論が成立しない。そのために専門用語を導入し、定義を重ね、限定条件を付す。結果として文章は長く、複雑になる。これは難しくしたいのではなく、正確にしたいのである。 「存在」「本質」「主観」「認識」。これらの語は日常でも使われるが、哲学での意味は日常語とズレている。そ

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

繰り返されてなお残る言葉たちへ

「使い古された表現を避けろ」という助言は、表現を巡る議論のなかで最も使い古された表現の一つだ。 クリシェ(cliché)はフランス語の印刷用語に由来する。活版印刷で繰り返し使う鋳型のことで、同じ型から同じ文字が何度でも刷り出される。そこから転じて「型にはまった独創性のない表現」を指すようになった。ステレオタイプも同じ語源を持つ。型から作られる量産品。 だが型が繰り返されるのには理由がある。何百年、何千年と反復されてなお生き残っている構造は、その持続性自体が何かを証明している。淘汰を生き延びた表現。では何が、それを生き延びさせたのか。 型はプロトコルである 起承転結。序破急。三幕構成。英雄の旅。 物語の「型」は、退屈の原因ではない。書き手と読み手が情報を受け渡すためのプロトコルだ。 ジョーゼフ・キャンベルは『千の顔を持つ英雄』(1949年)で、世界中の神話に共通する物語構造を抽出した。出発、イニシエーション、帰還。この「モノミス」と名づけられた型は、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』の脚本に直接応用したことで広く知られている。しかしルーカスが借りたのは構造であって、物

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

現代音楽が理解不能に感じる理由

1913年5月29日、パリのシャンゼリゼ劇場でストラヴィンスキーの「春の祭典」が初演されたとき、客席は騒然となった。不協和な和声、変拍子のリズム、原始的な振付。観客は賛否に分かれ、怒号と拍手が入り乱れた。警察が呼ばれたという証言もある。 一世紀後の今、同じ曲はクラシック音楽の定番レパートリーとしてどのコンサートホールでも演奏されている。曲は一音たりとも変わっていない。変わったのは、聴く側の耳だ。 あなたの耳は訓練済みである ドレミファソラシド。この音の並びが「自然」に聞こえるなら、それはあなたの耳がすでに調性音楽のプロトコルに最適化されているからだ。 調性音楽とは、特定の音(主音)を中心に据え、そこからの距離と関係で他の音を組織する体系である。西洋音楽はおよそ四世紀にわたってこの体系を発展させてきた。バロック、古典派、ロマン派。バッハからモーツァルトを経てベートーヴェンに至る巨大な伝統だ。 あなたが「美しいメロディ」「心地よいハーモニー」と感じるものは、この伝統の中で繰り返し刷り込まれた期待のパターンにほかならない。ポップスもロックもジャズも、根本的にはこの調性の体系の上に

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

自由意志が消えた世界で私たちが恐れていたもの

「自由意志は存在しない」。この言葉を聞いて平静でいられる人は少ない。「じゃあ犯罪者を罰する意味がないのか」「努力しても無駄なのか」「全部決まっているなら生きる意味がない」。こうした反応は自然だが、いずれも勘違いに基づいている。 勘違い1:「決まっている」と「強制されている」の混同 「自由意志がない」と聞いて最初に浮かぶイメージは、自分の行動が何かに強制されているというものだろう。しかし、因果決定論が主張しているのはそういうことではない。 因果決定論は、「宇宙のすべての出来事は先行する原因の結果である」という主張である。あなたが今この記事を読んでいるのも、朝コーヒーを飲んだのも、過去の原因の連鎖の結果であるという考え方だ。 しかし、「原因がある」ことと「強制されている」ことは別である。明日の天気は物理法則によって因果的に決定されているが、天気が「強制されている」とは言わない。同様に、あなたの選択が因果的に決定されているとしても、それは誰かに強制されているのとは異なる。 脅迫されて行動するのと、自分の欲求や信念に基づいて行動するのは、たとえ両方が因果的に決定されていたとしても、

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技術

翻訳が限りなく安くなる世界で言葉はどこへ向かうのか

翻訳は長い間、贅沢品だった。 日本語の文書を英語にする。プロの翻訳者に依頼すれば、日英翻訳で1文字あたりおよそ10円から20円が相場だ。1,000文字の文書で1万円前後。書籍1冊分(10万文字)なら100万円を超えることも珍しくない。この価格は、二つの言語の構造を理解し、文脈を読み、文化的なニュアンスを調整する知的労働への対価だ。安くはない。しかし不当でもない。 ところが、この構造が揺らぎ始めている。大規模言語モデル(LLM)の登場によって、翻訳コストに3桁の変動が起きた。 桁が違う コストを並べてみる。 プロの人間翻訳は、日英で1文字あたり10円から20円。専門分野(法務、医療、特許)ではさらに上がることもある。品質保証と校正を含めた価格だ。 ニューラル機械翻訳サービス(DeepLやGoogle翻訳の有料版など)は、月額制のサブスクリプションで大量のテキストを処理できる。1文字あたりのコストに換算すると、人間翻訳の数百分の一以下になる。 LLMのAPIはさらに話を複雑にする。料金は入力トークンと出力トークンの量で決まるが、日本語は英語に比べてトークン効率が低い。英語な

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

結論の手前にある見えない扉についての対話

ゼミで議論が噛み合わない。Aさんは「それは間違っている」と言い、Bさんは「いや、正しい」と言う。30分後、どちらも同じことを言っていたと気づく。前提が違っていただけだった。 この30分は無駄だったのか。無駄だった。だが、ほとんどのグループ議論でこの種の無駄は日常的に発生している。 結論が違うのではなく、前提が違う 議論が噛み合わないとき、多くの人は「相手の結論が間違っている」と考える。だが実際には、結論が違うのではなく、前提が違っていることのほうが圧倒的に多い。 「大学の授業は役に立たない」という主張を例にする。これに対して「いや、役に立つ」と反論する前に、確認すべきことがある。「役に立つ」とは何を意味しているのか。就職に直結するスキルのことか、思考力の訓練のことか、教養としての知識のことか。この定義が揃っていなければ、議論は永遠に平行線だ。 会話で賢く見える人は、この前提のズレに最初に気づく人だ。正しい結論を持っているからではなく、結論の前に前提を確認するからだ。 前提を確認する技術 前提の確認は、具体的には「問い返し」の技術だ。相手の発言を受けて、その背後にある前

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ことばと文学

趣味を愛する者だけが辿り着く場所

技術の最前線を走っているのは、なぜプロではないのか。 カメラのレンズ光学テストで最も精密なデータを公開しているのは、メーカーでもプロ写真家でもなく、個人の愛好家が運営するWebサイトだ。天文学の新天体発見において、アマチュア観測者は今なお重要な役割を担っている。世界のインターネットインフラの根幹を支えるLinuxは、一人の大学生が趣味で書き始めたコードから生まれた。 「ハイアマチュア」という言葉がある。もともとはカメラ業界のマーケティング用語として定着した言葉で、プロ向けとエントリー向けの間に位置する製品カテゴリを指していた。しかしこの言葉が示す現象は、カメラ業界に限らない。報酬を受け取らないがゆえに、報酬の論理に縛られない人々が、技術や知識の最前線を開拓しているという構造は、あらゆる分野に見られる。 プロは最先端にいない 直感に反するが、多くの分野でプロフェッショナルは技術の最先端にいない。 理由は単純だ。プロは「仕事として成立する範囲」に最適化する。クライアントが求めているのは「十分な品質」であって「到達可能な最高の品質」ではない。納品物の品質を95点から98点に上げる

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

「主観でしょ」という沈黙の刃

「それって主観でしょ」。議論の中でこの言葉が出た瞬間、会話は終わる。反論として完成しているように見えるこのフレーズは、実際には何も言っていない。正確に言えば、「言っていないこと」があまりにも多い。 このフレーズは何を主張しているのか 「それって主観でしょ」という発言を分解すると、以下のような前提が隠れている。 「あなたの意見は主観的である。主観的なものは客観的ではない。客観的でないものは正しいとは言えない。したがって、あなたの意見は正しいとは言えない。」 一見筋が通っているように見えるが、この推論にはいくつもの飛躍がある。 「主観」と「客観」の雑な二分法 日常語の「主観」は「個人の感想」とほぼ同義で使われる。「客観」は「誰が見ても同じ事実」を意味する。この二分法はシンプルだが、シンプルすぎる。 たとえば「このコーヒーは苦い」という判断は主観か客観か。味覚は個人差があるから主観だと言えるが、カフェインの含有量や焙煎度は客観的に測定できる。「苦い」という判断は、客観的な特性に基づいた主観的な報告である。完全に主観でも完全に客観でもない。 あるいは「この政策は不公平だ」と

By Sakashita Yasunobu

光と写真

好きで始めた写真が息苦しさに変わるとき

写真が好きで始めたはずなのに、いつの間にか疲れている。撮ること自体は楽しい。だがSNSに投稿した後の反応を気にし始めると、楽しさの質が変わる。撮影会に行って他の人の機材を見ると、自分のカメラが急に貧相に見える。ベテランの人に「その設定だと」と言われると、楽しかった時間が一気に萎む。 カメラ界隈がしんどいのは、撮影技術の問題ではない。人間関係とインセンティブの構造の問題だ。 経験年数が正しさになる権威勾配 カメラ界隈には、「長くやっている人の意見が正しい」という暗黙の序列がある。これはあらゆる趣味コミュニティに共通する構造だが、カメラ界隈では特に強い。写真には明確な正解がないため、正しさの根拠が「経験年数」に依存しやすいのだ。 技術的な正解はある程度存在するが、「いい写真とは何か」に正解はない。正解がない領域では、経験年数が権威の代替指標として機能する。 結果として起きるのは、「長くやっている人が新しい人に教える」という一方的な関係の固定化だ。教えてもらう側は意見を言いにくくなり、教える側は自分の基準が正しいと確信を深める。フィードバックのループが閉じて、多様な視点が排除され

By Sakashita Yasunobu