おぼえ

Something was studied, and this is what it left behind — not the lesson itself, but the marks it left on the way through.

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英語の名詞と代名詞の変遷

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 古英語から現代英語にかけて、名詞と代名詞の体系は大きく変化した。複数形の規則化、属格(所有格)の表現方法の変容、そして二人称代名詞の統合は、英語の歴史における重要な変化である。本稿では、現代英語に残る不規則な痕跡をたどりながら、これらの変化を整理する。 不規則な複数形 現代英語の名詞複数形は -s/-es が標準であるが、いくつかの名詞はこの規則に従わない。これらの不規則形は、古英語の異なる変化パターンの名残である。 二重複数 children は、古英語の cild の複数形 cildru に、さらに中英語期に -en が付加されて cildren となったものである。すなわち、古い複数語尾の上にさらに別の複数語尾が重ねられた「二重複数」(double plural)である。同様の現象は brethren(brother の古い複数形)にも見られる。brethren は古英語 brōþru に -en

By Sakashita Yasunobu

おぼえ

ゲルマン語の子音推移

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 インド・ヨーロッパ語族からゲルマン語派が分岐する過程で、子音体系に大規模な変化が生じた。この変化はグリムの法則として知られ、さらにヴェルネルの法則による補正、そしてゲルマン語内部で生じた第二次子音推移を経て、英語とドイツ語の音韻的な差異を生み出した。本稿では、これらの子音推移の内容とその関係を整理する。 グリムの法則 19世紀初頭、ドイツの言語学者ヤーコプ・グリム(Jacob Grimm)は、インド・ヨーロッパ祖語からゲルマン語派への体系的な子音変化を記述した。これがグリムの法則(Grimm's Law)であり、第一次子音推移(First Germanic Sound Shift)とも呼ばれる。変化の内容は以下の三系列からなる。 無声破裂音から無声摩擦音へ インド・ヨーロッパ祖語の無声破裂音 *p, *t, *k は、ゲルマン語で無声摩擦音 *f, *θ, *x(のちに *h)へと変化した。 * ラテン語 pater(父)

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場所はどのようにつくられるのか

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 「場所」を問い直す 朝、寝室で目を覚まし、食堂で朝食をとり、学校や職場へ向かう。帰りにスーパーへ寄り、家に戻る。私たちは毎日「場所」を舞台にして暮らしているが、場所そのものについて考えることはほとんどない。 森正人『誰が場所をつくるのか』(新曜社、2024年)は、その当たり前の「場所」を問い直す一冊である。副題に「ポストヒューマニズム的試論」と掲げられた本書によれば、場所は最初から存在する自明の所与ではなく、特定の時空間において人間と「人間あらざるもの」の相互作用によって構成される動的な過程である。場所論は人文地理学の中心的な主題であり、1970年代以降さまざまな理論的展開を経てきた。本書はその展開を丹念にたどりながら、近年のポスト人間中心主義の思潮を取り込んで場所概念の刷新を試みている。 本稿では、まず本書の議論を整理したうえで、理論的な観点から二つの問題点を指摘する。第一に、社会的構築主義とポスト人間中心主義の間に存在する緊張関係について。第二に、「場所はつねに変化し続ける過程である

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ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』書評

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 本を読んで人生が変わった、と言い切れる人が、どれだけいるだろうか。本じゃなくてもいい。映画を見終わってシアターを出たとき、世界がまるで違って見える感覚を覚えたことはないだろうか。感傷的な人や多感な中高生なら、そういう経験があるのだろう。しかし大学生にもなると、そうはいかない。世の中が少し見えてくると、作り話が生ぬるく思えてくる。よくできたフィクションより、現実のほうがよっぽど手に負えない。だからだろうか、若者は本を読まなくなった。オジサンは若者の現状をみて「本離れ」と呼んで嘆くが、言われすぎてもはや定型句だ。いまさら文句をつけられようが言い返す気にもなれない。あげく『白鯨』、『罪と罰』、『失われた時を求めて』などなど、「名著を読め」ときた。いわく「のめりこむほど面白い」そうだが、そんな手あかのついた宣伝文句で心が動くほど素直ではないし、大体、オジサンが面白いと言うものは面白くないのだ。その時間でSNSを眺めていたほうがマシだ。 とはいえ、オジサンと一緒になって若者の読書離れを嘆いていても仕方な

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加藤典洋『言語表現法講義』書評

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 なぜこの本を選んだのか 大学生活で避けて通れないのが、レポートや論文の執筆だ。しかし正直なところ、書くことは楽しくない。義務として書かされる文章は、書く側も読む側も面白くない。そんな中、「書くこと」そのものの意味を問い直すこの本に出会った。タイトルこそ堅苦しいが、著者の加藤典洋は「書くことを上手に表現する技法の問題だとは考えていない。むしろよりよく考えるための、つまり自分と向かい合うための一つの経験の場なのだ」と主張する。この視点の転換に惹かれ、本書を手に取った。 本書の構成と主題 本書は全9章から構成されている。第2章では課題レポートの問題点から始まり、第3章では推敲による文章の変化、第4章では「書かないこと」の表現力、つまり行間について論じられる。第5章では優れた文章に宿る「天啓」の獲得方法、第6章では敏感な問題に対する書き手の姿勢、第7章では現代文章の特徴が分析される。第8章では「良い文章」を書く際の壁について、そして最終章ではフィクションの力について語られる。 「行間文法」

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女性はなぜ「他者」なのか

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 『第二の性』が問うたもの ボーヴォワールは『第二の性』(1949年)において、女性が歴史的・社会的に「他者」として規定されてきた構造を分析した。 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は第二巻に置かれたものだが、第一巻『事実と神話』ではそれに先立つより根本的な問いが展開される。すなわち、なぜ女性は「他者」であり続けるのか、という問いである。 主体と他者 ボーヴォワールによれば、「男は〈主体〉であり、〈絶対者〉である。つまり、女は〈他者〉なのだ」(ボーヴォワール『第二の性』、17頁)。 「他者」という概念は、ヘーゲルやサルトルの哲学に由来する。ヘーゲルの『精神現象学』において、自己意識は他の自己意識との対自によってのみ自己を確立する。サルトルの実存主義もまた、主体は他者のまなざしのもとで自己を意識するという構造を明らかにした。主体は他者との関係においてのみ主体たりうるのである。 通常、この他者性は相互的なものである。

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貴族道徳と奴隷道徳

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 道徳の起源を問う 「善」と「悪」は自明の概念ではない。ニーチェは『道徳の系譜』(1887年)において、これらの道徳的概念の起源を系譜学的に探究し、道徳が歴史的に構成されたものであることを暴露しようとした。 系譜学とは、ある概念や制度が「なぜ」「どのようにして」生まれたのかを、歴史的な生成の過程に遡って問う方法論である。ニーチェにとって、道徳的な「善悪」の判断は天から与えられた永遠の真理ではなく、特定の人間集団の特定の利害関係から発生したものである。『道徳の系譜』の序言でニーチェ自身が述べるように、この書は『善悪の彼岸』の「補遺および解説」として執筆された。彼が問うのは、「善悪の価値判断はこれまでどのような条件のもとに発明されたのか」であり、「そうした評価そのものの価値」である。 貴族道徳 ニーチェが区別する第一の価値評価の様式は「貴族道徳」である。それは高貴な者、強者、支配者が自らを「よい(gut)」と肯定することから生まれる。 ニーチェによれば、「〈よい〉という判断のおこりは、

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ボーヴォワール『第二の性』序論を読む

本記事は、大学のゼミにおいてシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』序論を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはS・ド・ボーヴォワール『第二の性 I 事実と神話』、『第二の性』を原文で読みなおす会訳、河出書房新社、2023年を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 1. 女とは何か (¶1-4|pp. 11-16) ¶1 女がいるかどうかの議論以前に女とはなにかを問うべきである。女であることは生物学的な根拠によって定義されるものでもない。女の本質も存在しない。とすれば、女という範疇自体を否定する立場も成り立ちうる。 ここでの論理を整理しておこう。もし性格が「本質」ではなく「状況への反応」であるならば、女を規定する不変の本質は存在しないことになる。かつて「女らしさ」と呼ばれていたものが今日では存在しないという事実は、もし「女らしさ」が本当に生まれつきの本質だったら状況が変わっても存在し続けるはずだということの反証になっている。つまり、「今日消えた」という事実が、「実は最初から本質としては存在して

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ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』第1章 心理的諸状態の強度について

本記事は、大学のゼミにおいてアンリ・ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』(Essai sur les données immédiates de la conscience)の第1章を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはベルクソン著、合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論』(ちくま学芸文庫、2002年)を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 用語集(岩波哲学・思想事典より) 本章を読むにあたって、いくつかの専門用語の理解が前提となる。 延長 (extension) 空間的な広がりのこと。物体は空間の一部分を占め空間においてあるという、物体のそういう在り方を規定する概念。 外延・内包 論理学の用語。記号とその表象している内容の関係に関わる概念。フレーゲによれば、「Xは人間である」というような単項述語の意味として規定される。含むものと含まれるものの関係として理解できる。 強度 (intensité) 質的差異とは異なる量的差異として、しかも外延量

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ベルクソンの純粋持続

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 言語と意識の歪み ベルクソンは『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)において、われわれが通常「量」として捉えている心理的状態が、実際には「質」的な変化であることを示そうとした。 議論の出発点は、言語と思考に対する根本的な批判である。ベルクソンによれば、言語は「われわれの抱く諸観念のあいだに、物質的諸対象のあいだに見られるのと同じ鮮明ではっきりした区別、同じ不連続性をうち立てることを要請する」(ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』、9頁)。つまり、言語は本来連続的な意識の流れを、空間上の物体のように切り分けてしまう。この操作は日常生活において有用であり、科学の多くの場面で不可欠であるが、哲学的な問題を論じる際にはしばしば深刻な歪みをもたらす。 感情の「強さ」は量ではない 問題は、感情や感覚の「強さ」にも同様の歪みが生じている点にある。たとえば喜びが「増す」とき、われわれは同じ喜びが量的に拡大したと考えがちである。しかしベルクソンによれば、喜びの各段階は「わ

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ロック『人間知性論』における単純観念と固性

📝この記事は、筆者が哲学ゼミで作成したレポートをもとに加筆修正のうえ公開したものです。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第2章から第7章を扱っています。 ジョン・ロック(1632-1704)の『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1689)は、経験主義哲学の基礎を築いた主著である。ロックは第1巻で生得観念を否定し、第2巻で人間のあらゆる知識の素材である「観念」(idea) がどのように経験から生じるかを論じる。本稿では第2巻第2章から第7章を読解し、「単純観念」(simple idea) の概念とその分類を考察する。 単純観念とは ロックによれば、観念は単純なものと複雑なものの二つに分けられる。氷の冷たさと硬さ、ゆりの匂いと白さを例にとれば、物の性質が感官を感発して生む観念はそれぞれ単純である。冷たさの知覚の中に硬さは含まれず、匂いの中に色は含まれない。こうした単純観念は「心での一つの均質な現象態ないし想念」のみを含む。 単純観念は一切の知識の材料であり、感覚と内省だけによって生じる。知性は蓄積した単純観念から複雑

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ロックにおける一次性質と二次性質

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ロックは『人間知性論』第2巻において、物体の性質を「一次性質」と「二次性質」に区別した。この区別は近代認識論における物体の性質理解の基本的枠組みのひとつである。 性質と観念 ロックにおいて「性質」とは、私たちの心の中に「観念」を生み出す「力」のことである。ここで重要なのは、心の中にある観念と、物体に存する性質とを明確に区別している点である。私たちが直接知るのは心の中の観念であり、物体の性質はその原因として推論されるものである。 一次性質 一次性質とは、物体そのものに内在し、いかなる変化を受けても物体から分離できない性質である。ロックは次のように述べる。 まったく分離できないような物体のうちの性質。(『人間知性論』、187頁) 具体的には、固性(solidity)、延長、形、運動あるいは静止、数がこれにあたる。ロックは「たとえば一粒の小麦をとってこの部分に分割しよう。やはり固性・延長・形・可動性をもっている」(同上、187頁)と例示し、どれだけ細かく分割しても一次性質は失われないこ

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