あたまのなか
知れば知るほど暗くなるのに誰も懐中電灯を置けない
「知は力なり」とフランシス・ベーコンは書いたということになっている。四百年が過ぎた。人類はかつてないほど多くのことを知っている。それで何か解決したかと聞かれると、少し困る。 知ることは、普通、良いこととされている。教育を受けろ、本を読め、世界を知れ。そう言われて育つ。誰も「知るな」とは言わない。けれど、何かを知ってしまった後の、あの取り返しのつかなさについては、誰も教えてくれない。 この文章は答えを出すためのものではない。知ることがなぜこんなにも厄介なのか、その厄介さの輪郭をなぞってみるだけだ。なぞったところで何かがわかるわけでもない。それすらも、知っている。 ググれば済む世界で何も知らない ひとつ試してみてほしい。スマートフォンを置いて、友人の電話番号を何人分言えるか数えてみる。 おそらく、片手で足りる。あるいはゼロだ。十年前には覚えていたはずの番号が、今は連絡先アプリの中にだけ存在している。それでも日常は困らない。知らなくても、アクセスできればいい。現代の「知っている」は、多くの場合「検索できる」と同義になりつつある。 しかし、検索できることは本当に「知っている」と言