哲学を読む

A text was opened, and these entries follow where it leads. Bergson, Kant, Descartes, Locke, Beauvoir, Nietzsche, Merleau-Ponty, Russell. Not summaries, but readings: slower, more patient than paraphrase allows.

哲学を読む

考えることしかできない

人類が何千年もかけて「知性」と呼んできたものは、実のところ、知性のうちでもっとも薄い層だったのかもしれない。 1997年、IBMのDeep Blueがチェス世界王者ガルリ・カスパロフを破った日、世界は「機械が人間を超えた」と騒いだ。しかし同じ機械は、テーブルの上のコーヒーカップを持ち上げることができなかった。チェスの王を詰められる計算能力が、マグカップの取っ手を握る動作の前では無力だった。 1988年、ロボット工学者ハンス・モラヴェックは著書 Mind Children(Harvard University Press)のなかで、この奇妙な非対称性を一文に凝縮した。「知能テストやチェスで大人レベルの性能をコンピュータに発揮させることは比較的容易だが、知覚や運動に関して一歳児のスキルを与えることは困難、あるいは不可能だ」。同時期にロドニー・ブルックスやマービン・ミンスキーも同様の観察を述べている。これがモラヴェックのパラドックスと呼ばれるものだ。 そしてこのパラドックスが本当に突きつけているのは、AIの限界ではない。「知性とは何か」という問いに対する、人間の見積もりの甘さだ。

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

無関係なものを忘れる技術

知性とは何かと聞かれたら、たいていの人は「考える力」と答えるだろう。推論する力。分析する力。問題を解く力。 だがAIの歴史が数十年かけて暴いたのは、ほぼ真逆の事実だった。知性の核にあるのは、考えない力かもしれない。関係のないことを無視し、必要のない推論を止め、世界の大部分を放っておく力。それを私たちは「常識」と呼ぶ。そして常識がどれほど途方もないものであるかを最初に突きつけたのは、哲学者でも心理学者でもなく、ロボットに爆弾を片付けさせようとした計算機科学者たちだった。 三台のロボットの末路 哲学者ダニエル・デネットは「認知の車輪」と題した論文のなかで、三台のロボットの寓話を語った。 一台目のロボット、R1。部屋のなかに時限爆弾がある。同じ部屋にR1のバッテリーも置かれていて、バッテリーは台車に載っている。R1は台車を引き出せばバッテリーを救えると推論し、実行する。だが台車の上には爆弾も載っていた。R1は「台車を引くと台車の上のものが一緒に動く」という副次的効果を推論できなかった。 二台目、R1D1。行動の副次的効果をすべて考慮するよう設計された。台車を引く前に、R1D1はあ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

読む前の自分はもういない

あなたが誰かに本を贈るとき、あなたはその人の好みに合った本を選ぼうとする。しかし、本当に良い本は、読んだ人の好みそのものを変えてしまう。つまりあなたは、「読む前の相手」の好みで本を選ばなくてはならないのに、その本が成功すればするほど、「読んだ後の相手」は別の人間になっている。贈り物は届いたときにはもう、届くべき相手がいない。 これは本の話に限らない。人生のあらゆる重要な選択が、この同じ構造を持っている。 あなたはまだその本を知らない 哲学者L.A.ポールは2014年の著作 Transformative Experience で、こうした状況を「変容的経験(transformative experience)」と呼んだ。ポールによれば、変容的経験には二つの特徴がある。第一に、経験する前にはそれが「どのようなものか」を知ることができない(認識的変容性)。第二に、経験することで自分の核心的な選好や価値観が変わる(個人的変容性)。 子供を持つこと。恋に落ちること。重い病の診断。宗教的回心。初めて海外で暮らすこと。これらはすべて、経験する前と後で世界の見え方が根本的に変わる出来事だ。

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

楽譜だけが時を巡り続ける

あなたが聴いているその曲には、作曲者がいない。 未来から来た誰かが、楽譜を過去の作曲家に手渡す。作曲家はそれを演奏し、曲は世界に広まり、やがて未来の誰かがその楽譜を手にして、過去へ持っていく。曲はいつ書かれたのか。誰が書いたのか。答えはどこにもない。ブートストラップ・パラドックスと呼ばれるこの問題は、「矛盾」ではない。もっとたちの悪いことに、筋は通っている。ただ、すべてのものに始まりがあるという私たちの根源的な信念を、静かに、丁寧に、踏みにじる。 靴紐を引っ張って空を飛ぶ ブートストラップという名は、「自分の靴紐を引っ張って自分を持ち上げる」という英語の慣用句から来ている。物理的に不可能なことの比喩だ。しかしこのパラドックスは、不可能なことが論理的には矛盾しないという、より気味の悪い事態を指している。 構造はこうだ。事象Aが事象Bを引き起こし、BがCを引き起こし、CがAを引き起こす。因果の鎖が閉じたループになっている。どの事象もほかの事象によって引き起こされているから、それぞれの事象には「原因」がある。だが全体を見渡すと、このループそのものの原因はどこにも見当たらない。始まり

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

寛容が自らの喉を噛み切るとき

寛容な社会は、自分自身を食い殺す仕組みを最初から内蔵している。 1945年、カール・ポパーは『開かれた社会とその敵』の脚注にひとつの不発弾を埋めた。「無制限の寛容は、寛容の消滅をもたらす」。哲学書の片隅に差し挟まれた短い注釈。それが80年後の今も、誰にも解除できない爆弾として転がっている。むしろ、時代が進むほどに信管は敏感になっている。 あなたは寛容な人間だと思っている。他者の意見を尊重し、異なる価値観を受け入れる。それは美しい態度だ。しかし、その寛容さはいつか、あなた自身を飲み込むために口を開ける。不寛容な者に対して寛容でいられるか。いられるとして、それはまだ寛容か。それとも、ただの降伏か。 ポパーが言ったこと、言わなかったこと 寛容のパラドックスについて語る人は多いが、ポパーの原典を正確に読んでいる人は驚くほど少ない。 ポパーの主張は「不寛容に対して不寛容であれ」という単純なスローガンではなかった。彼が『開かれた社会とその敵』の注釈で述べたのは、もう少し慎重な立場だ。合理的な議論によって対抗できる限りにおいては、不寛容な思想であっても言論で対処すべきである。しかし、合理

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

女性はなぜ「他者」なのか

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 『第二の性』が問うたもの ボーヴォワールは『第二の性』(1949年)において、女性が歴史的・社会的に「他者」として規定されてきた構造を分析した。 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は第二巻に置かれたものだが、第一巻『事実と神話』ではそれに先立つより根本的な問いが展開される。すなわち、なぜ女性は「他者」であり続けるのか、という問いである。 主体と他者 ボーヴォワールによれば、「男は〈主体〉であり、〈絶対者〉である。つまり、女は〈他者〉なのだ」(ボーヴォワール『第二の性』、17頁)。 「他者」という概念は、ヘーゲルやサルトルの哲学に由来する。ヘーゲルの『精神現象学』において、自己意識は他の自己意識との対自によってのみ自己を確立する。サルトルの実存主義もまた、主体は他者のまなざしのもとで自己を意識するという構造を明らかにした。主体は他者との関係においてのみ主体たりうるのである。 通常、この他者性は相互的なものである。

By Sakashita Yasunobu

大学

貴族道徳と奴隷道徳

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 道徳の起源を問う 「善」と「悪」は自明の概念ではない。ニーチェは『道徳の系譜』(1887年)において、これらの道徳的概念の起源を系譜学的に探究し、道徳が歴史的に構成されたものであることを暴露しようとした。 系譜学とは、ある概念や制度が「なぜ」「どのようにして」生まれたのかを、歴史的な生成の過程に遡って問う方法論である。ニーチェにとって、道徳的な「善悪」の判断は天から与えられた永遠の真理ではなく、特定の人間集団の特定の利害関係から発生したものである。『道徳の系譜』の序言でニーチェ自身が述べるように、この書は『善悪の彼岸』の「補遺および解説」として執筆された。彼が問うのは、「善悪の価値判断はこれまでどのような条件のもとに発明されたのか」であり、「そうした評価そのものの価値」である。 貴族道徳 ニーチェが区別する第一の価値評価の様式は「貴族道徳」である。それは高貴な者、強者、支配者が自らを「よい(gut)」と肯定することから生まれる。 ニーチェによれば、「〈よい〉という判断のおこりは、

By Sakashita Yasunobu

大学

ボーヴォワール『第二の性』序論を読む

本記事は、大学のゼミにおいてシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』序論を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはS・ド・ボーヴォワール『第二の性 I 事実と神話』、『第二の性』を原文で読みなおす会訳、河出書房新社、2023年を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 1. 女とは何か (¶1-4|pp. 11-16) ¶1 女がいるかどうかの議論以前に女とはなにかを問うべきである。女であることは生物学的な根拠によって定義されるものでもない。女の本質も存在しない。とすれば、女という範疇自体を否定する立場も成り立ちうる。 ここでの論理を整理しておこう。もし性格が「本質」ではなく「状況への反応」であるならば、女を規定する不変の本質は存在しないことになる。かつて「女らしさ」と呼ばれていたものが今日では存在しないという事実は、もし「女らしさ」が本当に生まれつきの本質だったら状況が変わっても存在し続けるはずだということの反証になっている。つまり、「今日消えた」という事実が、「実は最初から本質としては存在して

By Sakashita Yasunobu

大学

ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』第1章 心理的諸状態の強度について

本記事は、大学のゼミにおいてアンリ・ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』(Essai sur les données immédiates de la conscience)の第1章を担当した際に作成したレジュメを基にしている。ゼミでの議論や下書き段階での検討内容を踏まえ、加筆修正を施した。 テキストはベルクソン著、合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論』(ちくま学芸文庫、2002年)を使用した。ページ番号は同書に準拠する。 用語集(岩波哲学・思想事典より) 本章を読むにあたって、いくつかの専門用語の理解が前提となる。 延長 (extension) 空間的な広がりのこと。物体は空間の一部分を占め空間においてあるという、物体のそういう在り方を規定する概念。 外延・内包 論理学の用語。記号とその表象している内容の関係に関わる概念。フレーゲによれば、「Xは人間である」というような単項述語の意味として規定される。含むものと含まれるものの関係として理解できる。 強度 (intensité) 質的差異とは異なる量的差異として、しかも外延量

By Sakashita Yasunobu

大学

ベルクソンの純粋持続

📝本稿は、筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、加筆修正を加えて執筆したものです。 言語と意識の歪み ベルクソンは『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)において、われわれが通常「量」として捉えている心理的状態が、実際には「質」的な変化であることを示そうとした。 議論の出発点は、言語と思考に対する根本的な批判である。ベルクソンによれば、言語は「われわれの抱く諸観念のあいだに、物質的諸対象のあいだに見られるのと同じ鮮明ではっきりした区別、同じ不連続性をうち立てることを要請する」(ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』、9頁)。つまり、言語は本来連続的な意識の流れを、空間上の物体のように切り分けてしまう。この操作は日常生活において有用であり、科学の多くの場面で不可欠であるが、哲学的な問題を論じる際にはしばしば深刻な歪みをもたらす。 感情の「強さ」は量ではない 問題は、感情や感覚の「強さ」にも同様の歪みが生じている点にある。たとえば喜びが「増す」とき、われわれは同じ喜びが量的に拡大したと考えがちである。しかしベルクソンによれば、喜びの各段階は「わ

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大学

ロック『人間知性論』における単純観念と固性

📝この記事は、筆者が哲学ゼミで作成したレポートをもとに加筆修正のうえ公開したものです。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第2章から第7章を扱っています。 ジョン・ロック(1632-1704)の『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1689)は、経験主義哲学の基礎を築いた主著である。ロックは第1巻で生得観念を否定し、第2巻で人間のあらゆる知識の素材である「観念」(idea) がどのように経験から生じるかを論じる。本稿では第2巻第2章から第7章を読解し、「単純観念」(simple idea) の概念とその分類を考察する。 単純観念とは ロックによれば、観念は単純なものと複雑なものの二つに分けられる。氷の冷たさと硬さ、ゆりの匂いと白さを例にとれば、物の性質が感官を感発して生む観念はそれぞれ単純である。冷たさの知覚の中に硬さは含まれず、匂いの中に色は含まれない。こうした単純観念は「心での一つの均質な現象態ないし想念」のみを含む。 単純観念は一切の知識の材料であり、感覚と内省だけによって生じる。知性は蓄積した単純観念から複雑

By Sakashita Yasunobu

大学

ロックにおける一次性質と二次性質

📝本稿は筆者が大学の授業で学んだ内容をもとに、独自の考察を加えて再構成したものである。 ロックは『人間知性論』第2巻において、物体の性質を「一次性質」と「二次性質」に区別した。この区別は近代認識論における物体の性質理解の基本的枠組みのひとつである。 性質と観念 ロックにおいて「性質」とは、私たちの心の中に「観念」を生み出す「力」のことである。ここで重要なのは、心の中にある観念と、物体に存する性質とを明確に区別している点である。私たちが直接知るのは心の中の観念であり、物体の性質はその原因として推論されるものである。 一次性質 一次性質とは、物体そのものに内在し、いかなる変化を受けても物体から分離できない性質である。ロックは次のように述べる。 まったく分離できないような物体のうちの性質。(『人間知性論』、187頁) 具体的には、固性(solidity)、延長、形、運動あるいは静止、数がこれにあたる。ロックは「たとえば一粒の小麦をとってこの部分に分割しよう。やはり固性・延長・形・可動性をもっている」(同上、187頁)と例示し、どれだけ細かく分割しても一次性質は失われないこ

By Sakashita Yasunobu