日常の構造

Why you always sit in the same seat. Why you bought three things you didn't need at the convenience store. Why nobody speaks first in a group. These entries take apart the invisible mechanisms behind ordinary moments — cognitive biases, spatial norms, social scripts, attention design — and show that very little of what feels like free choice actually is. Not philosophy in the grand sense, but philosophy at ground level.

哲学を読む

何でも飾れる額縁だけが残った

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の男性用小便器に「R. Mutt」と署名し、「泉(Fountain)」と名づけてニューヨーク独立芸術家協会の展覧会に出品した。拒否された。それだけの話だ。だが「それだけ」のはずの出来事が、それ以降のすべての芸術を汚染した。美しさも技巧も素材の選択も関係ない。署名ひとつ、提示の身振りひとつで、便器が「芸術」を名乗れる。そしてその瞬間から、「芸術とは何か」という問いは回答不能になった。回答不能のまま、100年以上が過ぎている。 目で見えないものが芸術を決める 1964年、アンディ・ウォーホルはスーパーマーケットに並ぶブリロの箱と見た目がまったく同じ「ブリロ・ボックス」をギャラリーに置いた。哲学者アーサー・ダントーは、この事態に根本的な問いを見出した。視覚的に区別できない二つの対象のうち、片方だけが芸術である。では芸術を芸術にしているのは何なのか。 ダントーの答えは「アートワールド」だった。芸術作品を芸術たらしめるのは知覚可能な性質ではなく、理論と批評と歴史が編み上げた解釈の共同体、その「理論的雰囲気」なのだと。あなたには何も見えていない。文字

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

予言が現実を書き換える世界

「この銀行は潰れる」。噂が広まる。預金者が窓口に殺到する。銀行は、本当に潰れる。 予測が正しかったのではない。予測が、正しさを作った。 未来を知ろうとした時点で、その未来はもう存在しない。代わりに、あなたの「知ろうとする行為」が作り上げた別の未来が、そこに立っている。 嘘が本当になる仕組み 1948年、社会学者ロバート・K・マートンは The Antioch Review 誌上でこの構造に名前を与えた。自己成就予言(self-fulfilling prophecy)。もともとは誤った状況の定義にすぎなかったものが、新しい行動を引き起こし、その行動がもともとの誤りを「真実」に変えてしまう。 マートンが参照したのは、W・I・トマスとD・S・トマスによるいわゆるトマスの定理だった。「もし人がある状況を現実だと定義するなら、それは結果において現実になる」。 銀行取り付け騒ぎは、その教科書的な事例だ。経営的にはまったく健全な銀行であっても、「危ない」という噂が十分に広まれば、預金者は合理的に引き出しに走る。個々の預金者の行動は合理的だ。自分の資産を守ろうとしているだけだ。しかしその

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ことばと文学

善意が静かに擦り減る場所で

「いい人ほど損をする」。SNSを開けば毎日のように流れてくるこの言説は、共感を集めやすい。誰しも「自分は頑張っているのに報われない」と感じた経験があるからだ。 だが、この言い方は雑すぎる。「いい人」とは何か。「搾取」とは何か。この2つの定義が曖昧なまま、結論だけが流通している。 「搾取」の定義を分ける まず「搾取」という言葉を分解する必要がある。 マルクス的な意味での搾取は、労働者が生み出した価値の一部を資本家が取得する構造を指す。ここでの搾取は個人の性格とは無関係で、構造そのものに組み込まれている。バイトで時給以上の価値を生み出していても、それはバイトである以上、構造的に当然のことだ。 心理学的な意味での搾取、いわゆる情緒的搾取は、一方が他方の感情を際限なく消費する関係を指す。友人の愚痴を毎晩3時間聞かされる。恋人の機嫌を常に伺い続ける。これは対等な関係における資源の不均衡だ。 そして日常語としての「搾取」は、「なんか割に合わない」という感覚のことを指していることが多い。 この3つは全く別の現象なのに、「搾取される」という一言にまとめられてしまう。 状況別に何が起

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大学生活

コンビニで買い込んでしまう

水を買いに入ったはずのコンビニで、気づけばチョコレートとおにぎりを持ってレジに並んでいる。意志が弱いのではない。あなたはそうなるように設計された空間の中にいる。 動線という誘導装置 コンビニに入ると、目の前には雑誌棚か新商品のプロモーション棚がある。目的の飲料は、ほぼ例外なく店の奥の壁面に並んでいる。偶然ではない。 小売業では、顧客が店内を移動する経路を「動線」と呼ぶ。コンビニの動線設計は、客をできるだけ多くの棚の前を通過させることを目的に最適化されている。飲料を奥に置けば、客は入口から最奥まで歩かなければならない。その途中に弁当、菓子、日用品が並ぶ。「ついでに」手が伸びる確率は、通過する棚の数に比例して上がる。 この原則はスーパーマーケットでも同じだ。牛乳や卵といった購入頻度の高い商品は、たいてい店の奥にある。客を奥まで歩かせるための配置だ。 レジ横の心理学 レジに並んだとき、目線の高さにあるのは小さな商品群だ。ガム、チョコレート、肉まん、からあげ。小売業界で「ゴールデンゾーン」と呼ばれるこの場所は、購買行動の最終関門であると同時に、最も無防備な瞬間でもある。 レジ

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生きること

嫌いなものに支えられて生きている

広告ブロッカーを使っている。 YouTubeのプレロール広告を飛ばし、Webサイトのバナーを非表示にし、SNSのインフィード広告をできるだけ目に入れないようにしている。広告は不快だ。見たくないものを見せられる。時間を奪われる。認知資源を消耗させられる。 その一方で、広告ブロッカーを使いながら無料のWebサービスに依存している。YouTube、検索エンジン、SNS、ニュースサイト。これらが無料で使えるのは、広告収入によって運営されているからだ。広告を嫌いながら、広告が支える無料サービスなしには生活が成り立たない。この矛盾に自覚的であることが、広告について考える出発点になる。 広告の機能を分解する 「広告は悪だ」と断じる前に、広告が何をしているのかを分解したほうがいい。 情報伝達機能。 「この商品が存在する」「このサービスが始まった」と知らせること。これ自体は中立的だ。知らなければ選択肢にすら入らない。新しい製品やサービスの存在を消費者に届ける手段として、広告は機能している。 説得機能。 「買うべきだ」「使うべきだ」と思わせること。ここから操作性が入る。情報の伝達と欲望の喚起

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日常の構造

椅子に座ると耳が遠くなる

あなたが信頼されるのは、共感する能力があるからだ。あなたが慕われるのは、耳を傾けることができるからだ。そしてあなたが権力を手にしたとき、その能力は静かに劣化し始める。本人はそれに気づかない。気づく必要がないからだ。誰もそれを指摘しなくなるからだ。 これは道徳の話ではない。「権力者は悪い人間だ」という素朴な糾弾でもない。共感という能力が、権力という構造のなかで構造的に朽ちていく、そのメカニズムの話だ。 共感で手に入れた椅子 UCバークレーの心理学者ダッカー・ケルトナーは、20年以上にわたって「権力」の心理学を研究してきた。その知見をまとめた著書 The Power Paradox(2016)が示す結論は、直感に反している。 権力を獲得するために最も重要な能力は、冷酷さでも、政治的手腕でも、カリスマでもない。共感だ。 ケルトナーの実験では、大学の寮生活においてどの学生が影響力を獲得するかを追跡した。最初の一週間で周囲から信頼を得た学生が持っていた特性は、熱意、親切さ、傾聴力、落ち着き、そして開放性だった。権力は、他者の生活を向上させる能力を通じて与えられる。優しい人から壊れるの

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日常の構造

あなたの立ち位置を決めている見えない力

エスカレーターに乗るとき、あなたは一瞬で判断を下している。左に立つか、右に立つか。その判断にかかる時間は、ほぼゼロだ。考えていない。周囲と同じ側に立っている。 片側空けの始まり エスカレーターの片側を歩行用に空ける慣習は、1944年のロンドン地下鉄に起源があるとされる。混雑緩和のために「右側に立ち、左側を空けてください」という案内が始まった。この慣習はやがて世界各地に広がった。 日本では、1967年に大阪の阪急梅田駅で長いエスカレーターが設置された際、「お急ぎの方のために左側をお空けください」というアナウンスが行われたのが、片側空けの始まりとされることが多い。大阪では右に立ち左を空ける。東京では左に立ち右を空ける。この左右の違いが生まれた経緯には諸説あり、定説はない。 注目すべきは、この慣習を誰かが命令したわけではないということだ。鉄道会社のアナウンスがきっかけであったとしても、全国的な社会規範として定着したのは、無数の人が互いの行動を観察し、模倣し、暗黙の了解として共有した結果にほかならない。 協調ゲームとナッシュ均衡 ゲーム理論の枠組みで見ると、エスカレーターの片側

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日常の構造

調べ終わった朝は来なかった

情報が足りないと嘆いていた時代があった。図書館に通い、人に尋ね、それでも知り得ないことを「仕方がない」と受け入れていた。少なくともあの時代は、「足りない」という診断だけは正しかった。 いまは違う。情報はある。検索ひとつで論文が降ってくる。動画が解説してくれる。SNSが意見を並べてくれる。そしてあなたは、その情報の洪水の前で、かつてより正確に間違えるようになった。 もう少しだけ調べよう、と思う。もう少しだけ。その「もう少し」が判断を永遠に先送りにしていることに気づく頃には、決めるべき時間はとうに過ぎている。 閾値を超えた情報 バリー・シュワルツが「選択のパラドックス」で示したのは、選択肢が増えるほど人は選べなくなるという逆説だった。ジャムの試食実験は有名だろう。24種類のジャムを並べると試食する人は増えるが、実際に購入する人は6種類のときの10分の1に落ちる。 この構図は、選択肢だけでなく情報にもそのまま適用できるかもしれない。情報が少ない時代、人はそれを「不足」と呼んだ。情報が増えれば判断の質は上がるはずだった。実際、ある地点まではそうだろう。しかし一定の閾値を超えると、情

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日常の構造

右肩上がりの絶望

あなたの祖父母の世代より、あなたは豊かだ。冷蔵庫がある。エアコンがある。ポケットの中に世界中の情報へアクセスできる端末がある。100年前の王侯貴族が夢にも見なかった水準の医療を、保険証一枚で受けられる。 それで、あなたは幸せだろうか。 1974年、経済学者リチャード・イースタリンがひとつの事実を突きつけた。国の所得が上がっても、国民の幸福度は上がらない。半世紀たった今も、この知見は消えていない。GDPのグラフは右肩上がりを続けている。幸福度のグラフは、ほぼ水平線のままだ。 発見 イースタリンはペンシルベニア大学の経済学者だった。1974年の論文で、彼は幸福度データを体系的に分析した最初の経済学者となる。 発見は奇妙だった。ある時点で切り取れば、裕福な人ほど幸せだ。国際比較でも、豊かな国の国民のほうが概ね幸せだ。ここまでは直感に合う。 ところが時系列で追うと、状況が反転する。アメリカの一人当たり実質GDPは1946年から1974年の間にほぼ倍増した。同じ期間の幸福度は、ほとんど動いていなかった。 のちにイースタリンは南カリフォルニア大学に移り、データを拡充した。発展途上国

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日常の構造

裏を返さない

4枚のカードがテーブルに置かれている。A、K、4、7。それぞれ片面にアルファベット、もう片面に数字が書かれている。 ルールはひとつ。「母音の裏には偶数がある」。このルールが正しいかどうかを確かめるために、あなたはどのカードを裏返すか。 1966年、心理学者ピーター・ウェイソンがこの課題を大学生に出した。正答率は10%に届かなかった。大半の被験者はAと4を選んだ。Aを裏返すのは正しい。母音の裏に偶数がなければルール違反だ。しかし4を裏返しても何もわからない。偶数の裏に母音がなくても、ルールは破られていない。ルールは「母音の裏は偶数」であって、「偶数の裏は母音」ではないからだ。 本当に裏返すべきは7だ。奇数の裏に母音があれば、ルールは崩壊する。しかし7を選んだ被験者はほとんどいなかった。 人は確認する。反証しない。ルールが正しいことを示すカードには手を伸ばし、ルールが間違っていることを示しうるカードには触れない。そしてそのことに、気づかない。 確認は快い なぜ人は確認ばかりするのか。 ひとつの答えは、確認が気持ちいいからだ。自分の予想が当たったとき、脳の報酬系が反応する。「

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ことばと文学

自由意志が消えた世界で私たちが恐れていたもの

「自由意志は存在しない」。この言葉を聞いて平静でいられる人は少ない。「じゃあ犯罪者を罰する意味がないのか」「努力しても無駄なのか」「全部決まっているなら生きる意味がない」。こうした反応は自然だが、いずれも勘違いに基づいている。 勘違い1:「決まっている」と「強制されている」の混同 「自由意志がない」と聞いて最初に浮かぶイメージは、自分の行動が何かに強制されているというものだろう。しかし、因果決定論が主張しているのはそういうことではない。 因果決定論は、「宇宙のすべての出来事は先行する原因の結果である」という主張である。あなたが今この記事を読んでいるのも、朝コーヒーを飲んだのも、過去の原因の連鎖の結果であるという考え方だ。 しかし、「原因がある」ことと「強制されている」ことは別である。明日の天気は物理法則によって因果的に決定されているが、天気が「強制されている」とは言わない。同様に、あなたの選択が因果的に決定されているとしても、それは誰かに強制されているのとは異なる。 脅迫されて行動するのと、自分の欲求や信念に基づいて行動するのは、たとえ両方が因果的に決定されていたとしても、

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日常の構造

すべてを買えるようになった人々が引き換えにしたものの目録

資産が10億ドルを超えた人間の生活は、もはや「裕福」という言葉では捉えられない。金額の大きさそのものよりも、その金額が日常の判断構造をどこまで変形させるかに本質がある。億万長者が常軌を逸しているとすれば、それは贅沢をしているからではない。意思決定の前提そのものが、大多数の人間とまったく異なる座標系に移動しているからである。 時間と金の等価性が壊れる 年収400万円の人にとって、1時間の労働には約2,000円の対価がある。だから自分で料理をつくり、自分で掃除をし、自分で移動手段を手配する。それが合理的だからである。 しかし資産が1,000億円を超えると、この計算が反転する。1時間あたりの機会費用が数百万円に達するとき、「自分でやる」という選択はほぼすべて非合理になる。移動はプライベートジェット、食事は専属シェフ、日程管理は複数のアシスタント。これは贅沢ではなく、彼らの座標系においては単なる最適化である。 問題は、この最適化が人間の経験を削り取ることにある。スーパーで食材を選ぶ時間、電車の中でぼんやりする時間、道に迷って偶然の店に入る時間。そうした非効率の中にこそ、生活と呼ばれる

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