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大学生活

現像ソフトを選び直す

写真を撮り始めた学生がまず手にする現像ソフトは、たいていAdobe Lightroomだ。学割があるし、チュートリアルも多い。周りも使っている。それを否定するつもりはない。 ただ、選択肢がひとつしかないと思っているなら、少し立ち止まってほしい。 Lightroomという「当たり前」 Lightroomが学生の定番になっている理由は明快だ。Adobeは教育機関向けの割引を積極的に展開しており、Creative Cloud全体をまとめて契約する流れの中にLightroomが自然と含まれる。PhotoshopやIllustratorを使う必要があるなら、同じサブスクリプションにLightroomがついてくるのだから、わざわざ別のソフトを探す動機がない。 さらに、ネット上の学習リソースの量ではLightroomが圧倒的だ。プリセットの配布、YouTubeの現像チュートリアル、書籍。入口として近づきやすいのは事実だ。 しかし「入口として近づきやすい」ことと「最も良い選択である」ことは、まったく別の話だ。 Capture Oneという別解 Capture Oneは、デンマークのP

By Sakashita Yasunobu

生きること

言語化できない不安の正体

何が不安なのかと聞かれて、答えられなかった。 不安はある。胸の奥のどこかが圧迫されている。胃が重い。眠れない。だが、何が不安なのかを言葉にしようとすると、ちょうどよい言葉が見つからない。「仕事が」「将来が」「人間関係が」と口にしてみても、どれもしっくりこない。不安の輪郭に言葉が届いていない感じがする。 たぶん、不安に輪郭がないのだ。 対象のない不安 ハイデガーは『存在と時間』の中で、恐れ(Furcht)と不安(Angst)を明確に区別した。 恐れには対象がある。暗い道を歩くときの恐怖。試験に落ちるかもしれないという不安。病気の診断を待つ緊張。これらには「何が怖いのか」という問いに対する答えがある。 だが、Angstには対象がない。ハイデガーによれば、Angstは世界全体が「無意味に」感じられる経験だ。普段は当たり前に機能していた世界の意味が崩壊し、すべてが「どうでもいい」ものとして立ち現れる。スタンフォード哲学百科事典が記述するように、不安が襲うと、日常の仕事への没頭が崩れ落ち、世界のアフォーダンスが「どうでもよいもの」として現れる。それは特定の何かへの恐怖ではなく、

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

学ぶためにはすでに知っていなければならない

何かを理解するためには、すでにそれを理解していなければならない。これは冗談ではない。2400年前にプラトンが記録し、20世紀にヤーッコ・ヒンティッカが認識論的論理学の道具立てで精密化した、知ることについてのもっとも不愉快な循環だ。 あなたがこの記事を読み終えたとき、何かを「学んだ」と感じるかもしれない。しかしもし学んだのだとすれば、あなたはここに書かれている概念をすでにある程度知っていたはずだ。まったく知らなかったなら、文章を理解できなかっただろう。知っていたなら、読む必要はなかったはずだ。 どちらに転んでも、学びという行為の足場が崩れる。 メノンの罠 紀元前4世紀、プラトンの対話篇『メノン』で、メノンはソクラテスにこう問うた。「あなたがまったく知らないものを、どうやって探求するのですか。探し出したとしても、それが探していたものだとどうやってわかるのですか」。この問いは素朴に見えて、底が抜けている。知っているものは探す必要がない。知らないものは探し方がわからない。仮に偶然見つけたとしても、それが「探していたもの」だと認識する手段がない。認識するには、すでに知っていなければなら

By Sakashita Yasunobu

技術

まぶたの裏に残る灰色の光

今すぐ目を閉じてみてほしい。 真っ暗になるはずだ。少なくとも、そう期待する。ところが実際に見えるのは、完全な黒ではない。うっすらとした灰色。ちらちらと揺れる微細な光の粒。ときどき、色のついた模様のようなものが浮かんでは消える。 これは故障ではない。あなたの目は、正常に動作している。正常に動作しているからこそ、暗闇の中でも「何か」を生み出してしまう。人間の視覚には、常にノイズがある。そしてそのノイズを完全にオフにする方法は、存在しない。 あなたは黒を見たことがない 完全な暗闇で目を閉じたとき知覚されるあの暗灰色には、名前がある。ドイツ語でEigengrau(アイゲングラウ)。「固有の灰色」という意味だ。19世紀のドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングがこの語を用いたとされる。 Eigengrauは、外部からの光がまったくない状態でも網膜の視細胞が自発的に発火することで生じる。光受容体である錐体細胞や桿体細胞の中にある視物質(ロドプシンなど)は、光を受けなくても熱エネルギーによってごくまれに異性化を起こす。これが「熱ノイズ」と呼ばれる現象で、脳はこの微弱な信号を「光が来た」と解釈

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

正しい羊飼いが牧草地を枯らす

あなたが正しいことをしている間に、世界は壊れていく。 誰も間違っていない。誰も悪意を持っていない。各人がそれぞれに合理的な判断を下し、それぞれの立場から最善を尽くしている。そして、そのすべてが足し合わされたとき、結果は破滅になる。 1968年、生態学者ギャレット・ハーディンは Science 誌に「共有地の悲劇(The Tragedy of the Commons)」を発表した。共有の牧草地。羊飼いがひとりずつ羊を追加する。一頭増やすことで得られる利益は自分のもの。牧草地の劣化というコストは全員で分担される。だから一頭増やすのは合理的だ。全員にとって。そして全員が一頭ずつ増やした結果、牧草地は荒廃する。 これは牧草地の話ではない。あなた自身の話だ。 正しさの総和 ハーディンの寓話が残酷なのは、そこに悪人がひとりもいないことだ。 全員が合理的に行動している。全員が自分の利益を最大化しようとしている。経済学がそう教え、進化がそう設計した。個人の最適解を足し合わせたら全体の最適解になるはず、とアダム・スミスの見えざる手は約束した。しかし共有地ではその約束が裏切られる。見えざる手

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大学生活

大学生になったら使うことを検討すべきアプリ

大学に入ると、管理すべきアカウントが一気に増える。大学のポータル、履修登録システム、学内メール、図書館、各種Webサービス。高校までとは比較にならない数のIDとパスワードを扱うことになる。 ここで紹介するのは「便利なアプリ一覧」ではない。大学生活で必要になる情報管理の習慣と、それを支える道具の話だ。 パスワードマネージャー 最初に導入すべきはパスワードマネージャーだ。理由は単純で、大学生活ではアカウントの数が爆発的に増えるからだ。 大学のポータル、学内メール、LMS(学習管理システム)、図書館のオンラインサービス、就活サイト、各種SNS。これらすべてに異なるパスワードを設定し、頭で覚えるのは現実的ではない。結果として、同じパスワードを使い回すか、覚えやすい短いパスワードに落ち着く。どちらも危険だ。 令和最新版のパスワード要件で整理した通り、NISTのガイドライン(SP 800-63B-4)はパスワードマネージャーの利用を積極的に支持している。サービス側にはパスワードの貼り付けやオートフィルを許可することが求められており、パスワードマネージャーの利用は現代のセキュリティ基準に

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

血のついた旗で手を拭く

暴力は悪い。それはおそらく、地球上のほぼすべての道徳体系が同意する数少ない命題のひとつだ。では、悪を止めるための暴力は。不正を前にして振り下ろされる拳は、それでもなお悪か。 もちろん悪だ。ただし「正しい」悪だ。 そうやって人類は何千年も、血のついた手を正義の旗で拭いてきた。 正義のために暴力を行使する瞬間、私たちは暴力を否定しながら暴力を肯定するという不可能な綱渡りをしている。そしてこの綱は、渡り始めた瞬間に消える。「暴力は悪だ」という原則を守るために暴力を使うとき、原則そのものが足元から崩れ落ちる。あとに残るのは「どの暴力が正しいか」を決める権力闘争だけだ。善も正義もないと言い切ることは簡単だが、それでも人は殴り返さずにいられない。 正しい戦争という自己欺瞞 「正しい暴力」の歴史は古い。アウグスティヌスは4世紀にすでに「正戦論」を整えていた。不正な侵略への抵抗、比例性の原則、最後の手段としてのみ許される武力行使、非戦闘員の保護。トマス・アクィナスがこれを精緻にし、20世紀にはマイケル・ウォルツァーが『正しい戦争と不正な戦争』で現代の国際法にまで接続した。 条件は立派だ。

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

あなたの臓器が五人を生かす朝

五人が死にかけている。それぞれに別の臓器が必要で、提供者はいない。しかし廊下に一人、健康な人間が歩いている。その人を殺して臓器を取り出せば、五人は助かる。 ほとんどの人はこれを拒む。だが「なぜ拒むのか」と問われると、答えに詰まる。 1975年、哲学者ジョン・ハリスはこの光景を制度にした。全国民に番号を割り振り、臓器が必要になるたびコンピュータが番号を選ぶ。呼ばれた人間は死ぬ。残りは生きる。彼はこれを「生存くじ(Survival Lottery)」と呼んだ。 功利主義の計算では、この制度は正しい。一人の死で二人以上が助かるなら、差し引きでプラスになる。しかしこの計算を「正しい」と言い切れる人間がほとんどいないという事実が、この思考実験の核にある。 レバーは引けるのに 1967年、フィリッパ・フットがトロッコ問題を提示した。暴走するトロッコが五人に向かっている。レバーを引けば別の線路に逸れるが、そちらには一人がいる。多くの人はレバーを引く。五人の命と一人の命。算数としては同じだ。 しかし臓器くじでは、同じ5対1の数式に人々は首を振る。トロッコ問題では許容された犠牲が、病院の廊

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

趣味を愛する者だけが辿り着く場所

技術の最前線を走っているのは、なぜプロではないのか。 カメラのレンズ光学テストで最も精密なデータを公開しているのは、メーカーでもプロ写真家でもなく、個人の愛好家が運営するWebサイトだ。天文学の新天体発見において、アマチュア観測者は今なお重要な役割を担っている。世界のインターネットインフラの根幹を支えるLinuxは、一人の大学生が趣味で書き始めたコードから生まれた。 「ハイアマチュア」という言葉がある。もともとはカメラ業界のマーケティング用語として定着した言葉で、プロ向けとエントリー向けの間に位置する製品カテゴリを指していた。しかしこの言葉が示す現象は、カメラ業界に限らない。報酬を受け取らないがゆえに、報酬の論理に縛られない人々が、技術や知識の最前線を開拓しているという構造は、あらゆる分野に見られる。 プロは最先端にいない 直感に反するが、多くの分野でプロフェッショナルは技術の最先端にいない。 理由は単純だ。プロは「仕事として成立する範囲」に最適化する。クライアントが求めているのは「十分な品質」であって「到達可能な最高の品質」ではない。納品物の品質を95点から98点に上げる

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

穴は開いたまま誰も埋めない

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか。 この問いに答えた人間は、まだいない。たぶん、これからもいない。1714年、ライプニッツがこの問いを定式化してから3世紀が過ぎた。物理学者が宇宙の始まりを計算し、神学者が第一原因を語り、論理実証主義者が「無意味だ」と宣告した。それでも問いは閉じなかった。ハイデガーはこれを「形而上学の根本問題」と呼んだけれど、根本問題と名付けたところで根本が見えるわけではない。 あなたは今日も、理由なく存在している。 すべてには理由がある、はずだった ライプニッツの充足理由律(Principle of Sufficient Reason)は、こう主張する。 いかなる事実も、それがそうであり他でないための十分な理由なしには、成立しえない。 (『モナドロジー』第32節、1714年) 美しい原理だと思う。あらゆるものに理由がある。この椅子がここにあるのにも、この惑星が青いのにも。世界は説明可能な場所であってほしいという願いを、ライプニッツは原理にまで昇華した。 ところが、この原理を「存在そのもの」に適用した途端、足場が崩れる。 「存在全体」の理由は何か

By Sakashita Yasunobu

技術

星空を眺める

夜空を見上げて、明るい星をじっと見つめる。よく見えるはずだと思って目を凝らすのに、なぜかぼんやりして、はっきりしない。ところが、ほんの少し視線をずらした瞬間、さっきまで見えなかった淡い星がふっと浮かび上がる。 これは錯覚ではない。目の構造がそうさせている。 網膜の二つの顔 人間の網膜には、光を受け取る細胞が二種類ある。錐体細胞と桿体細胞だ。 錐体細胞は網膜の中心部、中心窩と呼ばれる領域に密集している。色を識別し、細かい形を捉える。日中の視覚を担う主役だ。一方、桿体細胞は網膜の周辺部に多く分布している。色はほとんど感じ取れないが、わずかな光にも反応する。暗い場所での視覚は、こちらが支えている。 つまり、目の真ん中は明るい場所に強く、目の端は暗い場所に強い。昼と夜で、網膜の中で主役が入れ替わっている。 星空を眺めるとき、暗い星を直視するということは、光に対して鈍感な中心窩で捉えようとしていることになる。見えないのは当然だ。 逸視という技術 天文観測の世界には「averted vision」という技法がある。日本語では「逸視」と訳されることが多い。やり方は単純で、見たい天

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大学生活

エンジニアを目指す大学生はポートフォリオを作れ

「プログラミングできます」。就職活動の面接でそう言ったとして、面接官はどう判断するだろう。「どのくらいできるんですか」、「何を作ったんですか」。返せる答えがなければ、その一言は空気に溶ける。 ポートフォリオとは、その答えを形にしたものだ。 ポートフォリオは作品集ではない 「ポートフォリオ」と聞くと、デザイナーが見せるような洗練された作品集を想像するかもしれない。エンジニアのポートフォリオは違う。美しさより、中身だ。 エンジニアのポートフォリオとは、自分が何を考え、どんな問題に取り組み、どう解決したかの記録だ。作品の出来栄えだけではなく、その裏にある思考の過程に価値がある。なぜその技術を選んだのか。どこで詰まり、どう乗り越えたのか。何がうまくいき、何がうまくいかなかったのか。 採用担当者がポートフォリオを見るとき、完成度だけを見ているわけではない。この人がどのように考え、どのように学ぶのかを見ている。完璧なアプリケーションひとつより、試行錯誤の痕跡が残った複数のプロジェクトのほうが、その人の技術力と成長の軌跡をよく伝える。 大学生の段階で完璧なポートフォリオを求める必要はな

By Sakashita Yasunobu