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大学生活

大学に入ってから1年が異様に速く感じる理由

高校までの1年は長かった。4月の入学式から3月の終業式まで、体感としても確かに1年分の重みがあった。ところが大学に入った途端、1年が蒸発するように過ぎる。2月になって「え、もう?」と思う。なぜこうなるのか。 二つの「速さ」 時間の速さには、二つの種類がある。経験中の時間(prospective time)と、回想時の時間(retrospective time)だ。 経験中の時間とは、「今この瞬間がどれくらいの速さで流れているか」という感覚だ。退屈な講義の90分は永遠に感じる。逆に、夢中で何かに取り組んでいるとき、時間はあっという間に過ぎる。 回想時の時間とは、「あの期間はどれくらい長かったか」という振り返りの感覚だ。問題はここにある。経験中に「速い」と感じた時間は、振り返ると「短い」。経験中に「遅い」と感じた時間は、振り返ると「長い」。リアルタイムの体感と、記憶の中の体感は、しばしば逆転する。 大学生が感じる「1年が速い」は、主にこの回想時の時間に関わっている。

By Sakashita Yasunobu

大学生活

90分講義で人間の集中力はどこで壊れるのか

90分の講義に座っていると、どこかで意識が遠のく瞬間がある。ノートを取る手が止まり、スライドの文字が記号に見え始める。あの瞬間は、なぜ来るのか。そしてそれは、自分の問題なのか、制度の問題なのか。 「集中力は15分で切れる」は本当か 「人間の集中力は15分しか持たない」という話を一度は聞いたことがあるだろう。この数字はしばしば断定的に引用されるが、実際には単一の決定的な研究に基づいているわけではない。 注意の持続時間に関する研究は複数あり、15分、20分、45分など、条件によって異なる数値が報告されている。ダニエル・カーネマンが1973年に提示した注意資源モデルは、注意を有限の資源として捉えたが、具体的に「何分で切れる」とは主張していない。注意の持続は、課題の難易度、関心の度合い、環境、そして本人の状態によって大きく変動する。 つまり「15分で切れる」は実態を過度に単純化した通説である。ただし、集中力が一定時間を超えると低下する傾向があるという大枠自体は、多くの研究で支持されている。 90分という時間はどこから来たのか 日本の大学で広く採用されている90分という講義時間は

By Sakashita Yasunobu

生きること

人はなぜ夕方の光で立ち止まるのか

急いでいた。用事があった。それなのに、足が止まる。夕方の光が建物の壁をオレンジに染めている。ただそれだけのことだ。太陽が低くなり、光の波長のうち青が大気に散乱され、赤みを帯びた光だけが地表に届く。色温度にして約3000K前後。物理の教科書に載っている、ありふれた現象にすぎない。 それなのに、あなたは立ち止まる。スマートフォンを取り出すか、あるいはただ黙って見つめる。なぜか。たぶん、あなた自身にもわからない。 身体が先に知っている 「美しい」と思った瞬間には、もう足は止まっている。順序が逆なのだ。 美的判断というのは、通常、知覚してから評価し、そして行動に移るという段階を踏むと考えられている。ところが夕方の光に対する反応は、その手順を無視する。足が止まり、息が浅くなり、視線が固定される。そのあとで「ああ、きれいだ」と思う。判断より先に身体が動いている。 メルロ=ポンティは、知覚が単なる情報処理ではなく、身体そのものが世界と交渉する行為だと考えた。私たちは脳で世界を見ているのではなく、身体で世界に触れている。夕方の光に足が止まるのは、頭で「美しい」と判断したからではなく、身体が

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

聞いただけの美しさを抱いて眠った

「この映画は傑作だ」と、あなたが信頼する人間が言った。あなたはそれを信じた。でも、あなたはまだ観ていない。 信じたことと、観て震えたことは、同じだろうか。 たぶん違う。でも、何が違うのかを説明しようとすると、言葉が足りなくなる。足りないのは言葉だけではないのかもしれない。 「傑作だ」と言われた 「水はH₂Oである」と教えられて信じること。これには何の問題もない。自分で確かめなくても、証言による知識は十分に機能する。化学の教科書に書かれていることを、全員が実験室で再現する必要はない。 ところが、「あの映画は傑作だ」と教えられて信じることには、どこか奇妙な引っかかりがある。 この引っかかりについて、哲学者たちは驚くほど長いあいだ議論してきた。美的証言(aesthetic testimony)をめぐる論争だ。 2007年にロバート・ホプキンスが「悲観主義(pessimism)」と「楽観主義(optimism)」という用語で整理したこの問題の核心は、見かけ上は単純に見える。科学的事実は証言で伝達できるのに、なぜ美的判断は証言だけでは不十分に感じられるのか。 悲観主義者はこう主

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

選んだはずの指先が止まらない夜に

スクリーンタイムの通知を見て「嘘でしょ」と思ったことがあるなら、あなたは問題の当事者である。3時間、4時間、ときには5時間。自分では30分くらいしか触っていないつもりだった。しかもその間、「やめよう」と思えばいつでもやめられたはずだった。少なくとも、そう感じていた。 選んでいるのに、選んでいない スマホを操作しているとき、私たちは常に「選択」をしている。この動画を見るかスキップするか。この投稿にいいねするかしないか。次のアプリを開くか閉じるか。選択肢は確かに存在しており、どちらを選ぶかは自分が決めている。 しかし問題は、その選択肢の「枠組み」自体が設計されていることである。選択肢は与えられているが、選択の場を設計したのは自分ではない。これが「自分で選んでいる感覚」が維持される仕組みである。 アテンション・デザインの具体的な仕組み スマホのUIには、ユーザーの注意を引き続けるための設計が随所に埋め込まれている。 無限スクロール。 コンテンツに「終わり」がない。雑誌なら最後のページがあるが、SNSのフィードは底がない。「もう少しだけ」が永遠に続く構造になっている。 自動再

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

最も効率よく人を救う者が隣人を見捨てる

最も効率的に人を救おうとした者が、やがて隣にいる友人を見捨てることになる。これは倫理学の暴走ではない。善意の正確な帰結だ。 膝丈の水 ピーター・シンガーが1972年に書いた論文 "Famine, Affluence, and Morality" に、ひとつの思考実験がある。 出勤途中、膝丈の浅い池で幼い子どもが溺れている。周囲に誰もいない。あなたは新品のスーツを着ている。助けるか。当然、助ける。スーツが台無しになっても、会議に遅刻しても、子どもの命には代えられない。ほとんどの人がそう答える。 ではシンガーは問う。遠い国で同じ年齢の子どもが飢餓で死にかけているとき、あなたはなぜ同じように行動しないのか。数千ドルの寄付で救える命がある。あなたは昨日、同じ額を何か別のものに使った。 物理的な距離は、道徳的に何かを変えるのか。シンガーの答えは明快だった。変えない。 この論理を受け入れた瞬間、日常は足元から崩れる。友人への贈り物も、旅行も、趣味に使うお金も、すべて「救えたはずの命」との引き換えになる。あなたはもうボタンを押している。ただ気づいていないだけで。 これが効果的利他主義

By Sakashita Yasunobu

大学生活

書けないのは手ではなく問いが止まっているからだ

レポートが書けない。書き始めても手が止まる。何度書き直しても、まとまらない。その原因を「文章力がないから」と片付けてしまう人が多い。だが、ほとんどの場合、文章力は関係ない。 問題は、書き始める前にある。 「テーマを決める」と「問いを立てる」は違う 多くの学生が混同しているのがここだ。「SNSについて書きます」はテーマであって、問いではない。テーマだけでは、何を書けばいいか決まらない。 「SNSの匿名性は政治参加を促進するか、それとも抑制するか」。これが問いだ。問いが立てば、答えるために何を調べればいいかが見えてくる。構成が浮かぶ。根拠を集める方向が定まる。 レポートの出来は、書き始める前に決まっている。問いの質がレポートの質を決める。 弱い問いと強い問い 弱い問いには共通した特徴がある。範囲が広すぎる、答えが自明、あるいは調べれば一発で分かるものだ。 * 弱い問い: 「地球温暖化とは何か」 * 強い問い: 「なぜ地球温暖化の科学的合意にもかかわらず、政策実行が遅れるのか」 弱い問いは、百科事典を要約すれば済んでしまう。強い問いは、複数の視点を検討し、自分なりの

By Sakashita Yasunobu

大学生活

現像ソフトを選び直す

写真を撮り始めた学生がまず手にする現像ソフトは、たいていAdobe Lightroomだ。学割があるし、チュートリアルも多い。周りも使っている。それを否定するつもりはない。 ただ、選択肢がひとつしかないと思っているなら、少し立ち止まってほしい。 Lightroomという「当たり前」 Lightroomが学生の定番になっている理由は明快だ。Adobeは教育機関向けの割引を積極的に展開しており、Creative Cloud全体をまとめて契約する流れの中にLightroomが自然と含まれる。PhotoshopやIllustratorを使う必要があるなら、同じサブスクリプションにLightroomがついてくるのだから、わざわざ別のソフトを探す動機がない。 さらに、ネット上の学習リソースの量ではLightroomが圧倒的だ。プリセットの配布、YouTubeの現像チュートリアル、書籍。入口として近づきやすいのは事実だ。 しかし「入口として近づきやすい」ことと「最も良い選択である」ことは、まったく別の話だ。 Capture Oneという別解 Capture Oneは、デンマークのP

By Sakashita Yasunobu

生きること

言語化できない不安の正体

何が不安なのかと聞かれて、答えられなかった。 不安はある。胸の奥のどこかが圧迫されている。胃が重い。眠れない。だが、何が不安なのかを言葉にしようとすると、ちょうどよい言葉が見つからない。「仕事が」「将来が」「人間関係が」と口にしてみても、どれもしっくりこない。不安の輪郭に言葉が届いていない感じがする。 たぶん、不安に輪郭がないのだ。 対象のない不安 ハイデガーは『存在と時間』の中で、恐れ(Furcht)と不安(Angst)を明確に区別した。 恐れには対象がある。暗い道を歩くときの恐怖。試験に落ちるかもしれないという不安。病気の診断を待つ緊張。これらには「何が怖いのか」という問いに対する答えがある。 だが、Angstには対象がない。ハイデガーによれば、Angstは世界全体が「無意味に」感じられる経験だ。普段は当たり前に機能していた世界の意味が崩壊し、すべてが「どうでもいい」ものとして立ち現れる。スタンフォード哲学百科事典が記述するように、不安が襲うと、日常の仕事への没頭が崩れ落ち、世界のアフォーダンスが「どうでもよいもの」として現れる。それは特定の何かへの恐怖ではなく、

By Sakashita Yasunobu

哲学を読む

学ぶためにはすでに知っていなければならない

何かを理解するためには、すでにそれを理解していなければならない。これは冗談ではない。2400年前にプラトンが記録し、20世紀にヤーッコ・ヒンティッカが認識論的論理学の道具立てで精密化した、知ることについてのもっとも不愉快な循環だ。 あなたがこの記事を読み終えたとき、何かを「学んだ」と感じるかもしれない。しかしもし学んだのだとすれば、あなたはここに書かれている概念をすでにある程度知っていたはずだ。まったく知らなかったなら、文章を理解できなかっただろう。知っていたなら、読む必要はなかったはずだ。 どちらに転んでも、学びという行為の足場が崩れる。 メノンの罠 紀元前4世紀、プラトンの対話篇『メノン』で、メノンはソクラテスにこう問うた。「あなたがまったく知らないものを、どうやって探求するのですか。探し出したとしても、それが探していたものだとどうやってわかるのですか」。この問いは素朴に見えて、底が抜けている。知っているものは探す必要がない。知らないものは探し方がわからない。仮に偶然見つけたとしても、それが「探していたもの」だと認識する手段がない。認識するには、すでに知っていなければなら

By Sakashita Yasunobu

技術

まぶたの裏に残る灰色の光

今すぐ目を閉じてみてほしい。 真っ暗になるはずだ。少なくとも、そう期待する。ところが実際に見えるのは、完全な黒ではない。うっすらとした灰色。ちらちらと揺れる微細な光の粒。ときどき、色のついた模様のようなものが浮かんでは消える。 これは故障ではない。あなたの目は、正常に動作している。正常に動作しているからこそ、暗闇の中でも「何か」を生み出してしまう。人間の視覚には、常にノイズがある。そしてそのノイズを完全にオフにする方法は、存在しない。 あなたは黒を見たことがない 完全な暗闇で目を閉じたとき知覚されるあの暗灰色には、名前がある。ドイツ語でEigengrau(アイゲングラウ)。「固有の灰色」という意味だ。19世紀のドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングがこの語を用いたとされる。 Eigengrauは、外部からの光がまったくない状態でも網膜の視細胞が自発的に発火することで生じる。光受容体である錐体細胞や桿体細胞の中にある視物質(ロドプシンなど)は、光を受けなくても熱エネルギーによってごくまれに異性化を起こす。これが「熱ノイズ」と呼ばれる現象で、脳はこの微弱な信号を「光が来た」と解釈

By Sakashita Yasunobu

日常の構造

正しい羊飼いが牧草地を枯らす

あなたが正しいことをしている間に、世界は壊れていく。 誰も間違っていない。誰も悪意を持っていない。各人がそれぞれに合理的な判断を下し、それぞれの立場から最善を尽くしている。そして、そのすべてが足し合わされたとき、結果は破滅になる。 1968年、生態学者ギャレット・ハーディンは Science 誌に「共有地の悲劇(The Tragedy of the Commons)」を発表した。共有の牧草地。羊飼いがひとりずつ羊を追加する。一頭増やすことで得られる利益は自分のもの。牧草地の劣化というコストは全員で分担される。だから一頭増やすのは合理的だ。全員にとって。そして全員が一頭ずつ増やした結果、牧草地は荒廃する。 これは牧草地の話ではない。あなた自身の話だ。 正しさの総和 ハーディンの寓話が残酷なのは、そこに悪人がひとりもいないことだ。 全員が合理的に行動している。全員が自分の利益を最大化しようとしている。経済学がそう教え、進化がそう設計した。個人の最適解を足し合わせたら全体の最適解になるはず、とアダム・スミスの見えざる手は約束した。しかし共有地ではその約束が裏切られる。見えざる手

By Sakashita Yasunobu