哲学を読む
聞いただけの美しさを抱いて眠った
「この映画は傑作だ」と、あなたが信頼する人間が言った。あなたはそれを信じた。でも、あなたはまだ観ていない。 信じたことと、観て震えたことは、同じだろうか。 たぶん違う。でも、何が違うのかを説明しようとすると、言葉が足りなくなる。足りないのは言葉だけではないのかもしれない。 「傑作だ」と言われた 「水はH₂Oである」と教えられて信じること。これには何の問題もない。自分で確かめなくても、証言による知識は十分に機能する。化学の教科書に書かれていることを、全員が実験室で再現する必要はない。 ところが、「あの映画は傑作だ」と教えられて信じることには、どこか奇妙な引っかかりがある。 この引っかかりについて、哲学者たちは驚くほど長いあいだ議論してきた。美的証言(aesthetic testimony)をめぐる論争だ。 2007年にロバート・ホプキンスが「悲観主義(pessimism)」と「楽観主義(optimism)」という用語で整理したこの問題の核心は、見かけ上は単純に見える。科学的事実は証言で伝達できるのに、なぜ美的判断は証言だけでは不十分に感じられるのか。 悲観主義者はこう主