大学生活

You arrived on campus and nobody handed you a manual. These entries cover what no syllabus mentions: how to register courses without regret, how to write a report that doesn't embarrass you, which tools actually help, and how to survive the strange social physics of lecture halls, group work, and empty periods between classes. Practical, sometimes blunt, written for the student who just wants to know what to do next.

大学生活

哲学を学ぶデメリットあるいはメリット

「それって、どういう意味で言ってる?」 友人が「やっぱり努力って大事だよね」と言った。何気ない発言だ。同意すれば会話は流れる。しかし哲学科で二年を過ごした頭が勝手に動く。「努力」とは何を指しているのか。量の問題なのか、質の問題なのか。結果が伴わなければ努力ではないのか。そもそも努力できるかどうかは本人の意志だけの問題なのか。 「ねえ、そもそも努力って何?」 こうして、場の空気は死ぬ。 哲学を学ぶと、日常の会話が噛み合わなくなる。哲学が悪いわけでも、友人が悪いわけでもない。哲学的な思考と日常会話には、根本的な速度差と目的の違いがある。その差を自覚しないと、ただ「面倒くさい人」になるだけだ。 前提を確認したくなる 哲学では、議論の前に前提を確認する。 「幸せになりたい」と誰かが言ったとする。哲学の訓練を受けた人間の頭には、即座に疑問が浮かぶ。「幸せ」は主観的な感情のことか、客観的な状態のことか。快楽の多さを指しているのか、人生全体の充実を指しているのか。アリストテレス的なエウダイモニア(徳の実現としての善い生)なのか、功利主義的な快楽計算なのか。 日常会話では、こうした疑

By Sakashita Yasunobu

ことばと文学

善意が静かに擦り減る場所で

「いい人ほど損をする」。SNSを開けば毎日のように流れてくるこの言説は、共感を集めやすい。誰しも「自分は頑張っているのに報われない」と感じた経験があるからだ。 だが、この言い方は雑すぎる。「いい人」とは何か。「搾取」とは何か。この2つの定義が曖昧なまま、結論だけが流通している。 「搾取」の定義を分ける まず「搾取」という言葉を分解する必要がある。 マルクス的な意味での搾取は、労働者が生み出した価値の一部を資本家が取得する構造を指す。ここでの搾取は個人の性格とは無関係で、構造そのものに組み込まれている。バイトで時給以上の価値を生み出していても、それはバイトである以上、構造的に当然のことだ。 心理学的な意味での搾取、いわゆる情緒的搾取は、一方が他方の感情を際限なく消費する関係を指す。友人の愚痴を毎晩3時間聞かされる。恋人の機嫌を常に伺い続ける。これは対等な関係における資源の不均衡だ。 そして日常語としての「搾取」は、「なんか割に合わない」という感覚のことを指していることが多い。 この3つは全く別の現象なのに、「搾取される」という一言にまとめられてしまう。 状況別に何が起

By Sakashita Yasunobu

大学生活

コンビニで買い込んでしまう

水を買いに入ったはずのコンビニで、気づけばチョコレートとおにぎりを持ってレジに並んでいる。意志が弱いのではない。あなたはそうなるように設計された空間の中にいる。 動線という誘導装置 コンビニに入ると、目の前には雑誌棚か新商品のプロモーション棚がある。目的の飲料は、ほぼ例外なく店の奥の壁面に並んでいる。偶然ではない。 小売業では、顧客が店内を移動する経路を「動線」と呼ぶ。コンビニの動線設計は、客をできるだけ多くの棚の前を通過させることを目的に最適化されている。飲料を奥に置けば、客は入口から最奥まで歩かなければならない。その途中に弁当、菓子、日用品が並ぶ。「ついでに」手が伸びる確率は、通過する棚の数に比例して上がる。 この原則はスーパーマーケットでも同じだ。牛乳や卵といった購入頻度の高い商品は、たいてい店の奥にある。客を奥まで歩かせるための配置だ。 レジ横の心理学 レジに並んだとき、目線の高さにあるのは小さな商品群だ。ガム、チョコレート、肉まん、からあげ。小売業界で「ゴールデンゾーン」と呼ばれるこの場所は、購買行動の最終関門であると同時に、最も無防備な瞬間でもある。 レジ

By Sakashita Yasunobu

大学生活

震える声のままで構わない

ゼミや授業で発言するのが怖い。その不安の正体は「間違ったらどうしよう」だ。だが、「間違えない発言」を目指す必要はない。目指すべきは、「恥をかかない発言」の型を持つことだ。 賢く見せようとするから怖くなる。守りに徹すれば、発言のハードルは大きく下がる。 発言で恥をかく4つのパターン まず、避けるべき型を知っておく。 断定する。 「それは間違いです」「絶対にこうです」。ゼミでこれをやると、根拠を問われたときに逃げ場がなくなる。そもそも学問の場では、断定できることの方が少ない。 一般化する。 「みんなそう思っています」「普通はこうです」。主語が大きすぎる発言は、反例一つで崩れる。「誰が」「どの範囲で」を限定していないから、簡単に突っ込まれる。 人格に触れる。 「そういう考え方をする人は...」。議論の対象を意見から人格にずらした瞬間、場の空気が壊れる。反論すべきは主張の内容であって、主張する人ではない。 論点をずらす。 今の議題と関係のない話を始めてしまう。本人は関連があると思っていても、他の参加者にとってはそう見えない。 「確認、限定、仮説」の型 恥をかかない発言には

By Sakashita Yasunobu

大学生活

大学生、初めてのレポート

大学に入って最初に戸惑うのが、レポートだ。高校までの感想文や作文とはまるで違う。レポートとは、問いに対して根拠を示しながら答える文書のこと。「何を書けばいいかわからない」のは、問いの立て方と論証の型を知らないからにすぎない。 感想文とレポートは違う 感想文は「私はこう感じた」を書く。レポートは「この問いに対して、この根拠から、こう言える」を書く。 求められる力も異なる。感想文が感性と表現力なら、レポートは情報収集力、分析力、論理力だ。この違いがわかるだけで、書くものの輪郭はかなりはっきりする。 課題文を正しく読む 「〇〇について述べよ」という課題を受け取ったら、すぐに書き始めてはいけない。まず3つのことを確認する。 * 何を聞かれているのか。問いの核を正確に特定する * どこまで答えるのか。論じる範囲を絞る * どう答えるのか。説明なのか、比較なのか、批判的検討なのかを見極める 「述べよ」はたいてい「説明せよ」の意味だ。「論じよ」なら、自分の見解を根拠とともに示すことが求められている。「考察せよ」は、先行研究や事実を踏まえた上での分析を意味する。 課題の動詞ひ

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技術

エンジニアを目指す大学生が取るべき資格

「資格なんていらない、実力があればいい」。エンジニア志望の大学生がSNSで一度は目にする言葉だ。一方で「資格を取っておけ」と勧める声もある。どちらにも一理ある。しかし、どちらも半分しか正しくない。 「資格は意味ない」の半分だけ正しいところ 「資格より実務経験」。これは事実だ。採用の現場で重視されるのは、何ができるかであって、何を持っているかではない。資格の有無だけで採否が決まることは、まずない。 しかし、大学生には実務経験がほとんどない。インターンで多少の経験を積んでいたとしても、実務を何年も積んだエンジニアと同じ土俵には立てない。実務経験がない段階で「実力で示す」と言っても、示す手段が限られている。 資格は、その限られた手段のひとつだ。特に新卒採用では、応募者の技術レベルを短時間で判断する必要がある。そのとき「基本的な知識がある」ことの客観的な証拠として、資格は機能する。 ただし、すべての資格が同じ価値を持つわけではない。取る意味のある資格と、学生のうちには取っても意味が薄い資格がある。ここからは、その区別を整理する。 まず取るべき国家資格 IT系の国家資格は、IP

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大学生活

図書館の役割、あるいはスタバについての論考

「図書館で勉強する」と言えば、誰も何も言わない。「スタバで勉強する」と言えば、一定数の人が眉をひそめる。 やっていることは同じだ。テキストを開き、ノートを広げ、何かを読んで何かを書く。場所が違うだけで、行為そのものは変わらない。なのに、片方は当然のこととして受け入れられ、もう片方は議論の種になる。 この非対称は、場所というものが単なる物理的な空間ではないことを示している。 場所には「脚本」がある 建物には、設計者が想定した使い方がある。図書館は本を保管し、閲覧するための施設として設計された。カフェはコーヒーを飲みながら会話を楽しむための場所として設計された。 しかし、人は設計者の意図通りには動かない。大学図書館の閲覧席を見れば明らかだ。蔵書を閲覧している学生よりも、持ち込んだ教科書で自習している学生のほうが圧倒的に多い。図書館は「本を借りる場所」から「静かに勉強する場所」へと、いつのまにか読み替えられている。 この変化には歴史的な背景がある。大学図書館は、1990年代以降、「ラーニングコモンズ」という概念のもとで機能を拡張してきた。従来の蔵書管理と閲覧提供に加え、グループ

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大学生活

大学生は下手に履修するより聴講をしろ

大学の授業を受けるには履修登録が必要だ。当たり前のように聞こえるが、実はそうでもない。 履修登録をして単位を取ることと、何かを学ぶことは、本来まったく別の行為だ。この二つを同一視しているかぎり、大学の時間の使い方は窮屈なままだ。 「単位のための勉強」という歪み 履修登録をした瞬間、その科目の成績はGPAに反映される。良い成績を取ればGPAは上がり、悪い成績を取れば下がる。不合格であっても分母に算入される。履修登録とは「この科目で評価を受けます」という宣言であり、同時にGPAを賭ける行為でもある。 問題は、学びたい科目と良い成績を取れる科目が、必ずしも一致しないことだ。 興味はあるが自分の専門から遠い科目。面白そうだが厳しいと聞く講義。他学部で開講されている、基礎知識が足りないかもしれない授業。こうした科目を正規に履修すれば、GPAを賭けた博打になる。 結果として多くの学生は、成績がつきやすい科目を選ぶようになる。合理的な判断だ。しかし合理的な判断を重ねた先に残るのは、合理的だが退屈なカリキュラムだ。指標が目標に変わると、その指標が測ろうとしていたもの自体が歪む。GPAを守

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大学生活

大学に入学してからやるべき最も重要なこと

卒業要件を、自分の言葉で書き出せ。 学内のシステムにログインするためのIDとパスワードを手に入れた。入学式も終わった。サークルの勧誘を受けた。新しい街にも少し慣れた。さて、次に何をすべきか。 答えはひとつだ。卒業するために何が必要かを、正確に把握しろ。 なぜ卒業要件なのか 大学生活には自由がある。高校までのように、時間割が決められているわけではない。何を学ぶか、どの授業を取るか、どう時間を使うかは、基本的に自分で決める。 この自由は、裏返せば「誰も教えてくれない」ということだ。 卒業要件は、大学のWebサイトや学生便覧に書いてある。書いてある。しかし、読んで正確に理解している学生は驚くほど少ない。必修科目の一覧は確認しても、選択必修の条件、自由選択の上限、進級要件、卒業論文の位置づけまで把握している1年生は、ほとんどいない。 そして3年生になってから、「この科目を取っていなかった」「この区分の単位が足りない」と気づく。これは珍しい話ではない。毎年、全国の大学で起きている。 「読んだ」と「理解した」は違う 卒業要件のページを開いて、目を通す。これは「読んだ」ことには

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大学生活

大学生は履修上限を超える意味がない

視野を広げるために、もっとたくさん授業を取りたい。その意欲は理解できる。しかし、GPAの計算式を一度でも冷静に眺めたことがあるだろうか。そこには、履修を増やすことが構造的に不利な賭けであることが、数式としてはっきり書かれている。 GPAは平均だ 日本の多くの大学で採用されているGPAの計算式は、おおむね次の形をとる。 \[ \text{GPA} = \frac{(\text{成績係数} \times \text{単位数}) \text{の合計}}{\text{総履修登録単位数}} \] 成績係数の割り当ては大学によって異なる。もっとも一般的なのは、秀(S)= 4、優(A)= 3、良(B)= 2、可(C)= 1、不可(D)= 0とする方式だ。AA = 4.3を設ける大学もあるし、Sを設けずA = 4から始める大学もある。分母に不合格科目の単位数を含めるかどうか、再履修で成績を上書きできるかどうかにも差がある。 しかし、どの方式であっても根本の構造は変わらない。GPAは加重平均だ。

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大学生活

授業の空きコマはなぜ無に溶けるのか

時間割にぽっかりと空いた90分。次の授業まで自由だ。何でもできるはずだ。 課題を進めることもできる。図書館で本を読むこともできる。友達と話すこともできる。 しかし、実際に起きることは、たいていこうだ。スマートフォンを開く。SNSを眺める。何となく食堂でぼんやりする。気がつけば、次の授業の5分前になっている。90分が、文字通り無に溶けている。 なぜ、自由な時間が何も生まないのか。 中途半端な時間の罠 90分は、何かを始めるには短い。しかし、何もしないには長い。 この「中途半端さ」が、空きコマの最大の敵だ。レポートに取り組もうとすると、「あと90分しかないのに今から始めても中途半端に終わる」という判断が働く。読書を始めようとすると、「途中で切り上げなければならない」という見通しが、没入を妨げる。 結果として、何かに本腰を入れるには不十分だが、完全に休息するには長すぎる時間が宙に浮く。そして宙に浮いた時間は、もっとも抵抗の少ない行動に吸い込まれる。スマートフォンだ。 パーキンソンの法則では、「仕事は与えられた時間を満たすまで膨張する」とされる。しかし空きコマでは逆のことが起

By Sakashita Yasunobu

大学生活

本棚だけが豊かになり思考が動かないあなたへ

「年間100冊読んでいます」。この一文がプロフィールに書いてあると、なんとなく知的な人に見える。だが冷静に考えると、100冊読んだという事実は行動量の記述であって、知性の指標ではない。100キロ走った人が健康かどうかわからないのと同じだ。 「読む」と「使う」の断絶 読書が知性に接続されないのは、意志の問題ではない。「読む」と「使う」の間に構造的な断絶がある。 本を読んでいる最中、あなたの脳は活発に動いている。新しい概念を理解し、著者の論理を追い、時に感動する。だがその活発さは、本を閉じた瞬間に急速に減衰する。3日後、あなたは本の内容をほとんど覚えていない。1ヶ月後には、タイトルと「面白かった」という印象だけが残る。 これは記憶力の問題ではない。読書という行為の構造上、当然のことだ。本は著者の問いに対する著者の答えで構成されている。あなたは著者の思考を追体験しているだけで、自分の思考を動かしていない。他人の筋トレを見ているようなもので、見ているだけでは筋肉はつかない。 読書を「インプット」と呼ぶ問題 読書を「インプット」と呼ぶこと自体が誤解を生んでいる。 「インプット」

By Sakashita Yasunobu