倫理と思考実験
苦しみは何も教えない
「あの苦しみがあったから今の自分がある」。誰もが一度は口にし、一度は信じようとした言葉だ。美しい。感動的ですらある。そして、おそらく嘘だ。 少なくとも、嘘でないという保証はどこにもない。苦しみがあなたを「成長させた」のか、それとも苦しんだという事実をあとから意味のある物語に仕立て上げただけなのか。その区別を、あなたは本当につけられるだろうか。 正当化と合理化の見分けがつかない 「あの経験があったから強くなれた」。 心理学にはポスト・トラウマティック・グロース(Post-Traumatic Growth, PTG)という概念がある。逆境を経験した人間がその後に心理的な成長を遂げるという現象で、1990年代にテデスキとカルフーンによって提唱された。困難のあとに人が変わりうることは、実証的にも確認されている。 だが、ここで少し立ち止まりたい。 PTGは、「苦しみそのものに意味があった」とは言っていない。苦しみのあとに人が変化しうると言っているだけだ。つまり、成長は苦しみの結果であって、苦しみの目的ではない。この区別はささやかに見えて、実はとても大きい。 苦しんだ過去を振り返り