生きること
誰のせいでもない
あなたが最後に誰かに怒りを覚えたとき、その怒りには根拠があっただろうか。もう少し正確に聞こう。あなたが怒ったということそのものが、あなたの意志による選択だったと、本気で信じているだろうか。 もしすべてが因果の連鎖で決まっているのなら、犯罪者を罰することに正当性はあるのか。素朴に考えれば「悪いことをしたのだから罰を受けるべきだ」と言いたくなる。しかし、「悪いことをした」というその文の主語は、本当にその人自身なのか。遺伝子、環境、脳の構造、幼少期の記憶、あるいはただの化学反応。「その人」は、いったいどこにいるのだろう。 壊れた時計を叱る人 「育った環境が悪かったから」という言葉を聞くと、多くの人が不快になる。甘えだ、言い訳だ、と。しかし、この不快感そのものがひとつの思考停止であることに気づいている人は、どれほどいるだろう。 決定論(determinism)という立場がある。この宇宙で起きるすべての出来事は、それ以前の出来事によって因果的に決定されている、という考え方だ。ビリヤードの球がぶつかれば次の球が動くように、あなたの脳内の神経発火もまた、それに先立つ物理的条件によって決まっ