生きること

We die, and we know it. These entries sit with what that means: freedom, solitude, happiness, time, memory, choice. None of them arrive at comfort. They ask what it is to remain here, awake to the weight of it, without turning away.

倫理と思考実験

孤独は治らない

あなたがこの文章を読んでいる今、おそらくひとりだろう。スマートフォンの画面か、PCのモニタか、いずれにしても、その光はあなただけの顔を照らしている。 安心してほしい。この記事は、あなたの孤独を癒さない。 孤独について書かれた文章は世の中に山ほどある。「孤独を楽しもう」、「ひとりの時間は自分を見つめ直すチャンス」。そういった言葉が、まるでビタミン剤のように処方される。けれど、それで治った人を見たことがない。見たことがないのは、孤独が病気ではないからだ。もっと正確にいえば、孤独は人間の初期設定だからだ。 治らないものを治そうとするから、苦しい。 ひとりでいることと、ひとりであること 一人でいることと孤独は同じだろうか。 答えは、たぶん、いいえだ。カフェで一人で本を読んでいるとき、あなたは一人だが、孤独ではないかもしれない。一方で、友人に囲まれた飲み会の真ん中で、ふと自分だけが透明になったような感覚に襲われることがある。周囲の笑い声が、自分とは無関係な音楽のように聞こえる瞬間。 あれは、孤独だ。 ハンナ・アーレントは、この感覚の違いに名前をつけた。彼女はsolitudeとl

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

誰のせいでもない

あなたが最後に誰かに怒りを覚えたとき、その怒りには根拠があっただろうか。もう少し正確に聞こう。あなたが怒ったということそのものが、あなたの意志による選択だったと、本気で信じているだろうか。 もしすべてが因果の連鎖で決まっているのなら、犯罪者を罰することに正当性はあるのか。素朴に考えれば「悪いことをしたのだから罰を受けるべきだ」と言いたくなる。しかし、「悪いことをした」というその文の主語は、本当にその人自身なのか。遺伝子、環境、脳の構造、幼少期の記憶、あるいはただの化学反応。「その人」は、いったいどこにいるのだろう。 壊れた時計を叱る人 「育った環境が悪かったから」という言葉を聞くと、多くの人が不快になる。甘えだ、言い訳だ、と。しかし、この不快感そのものがひとつの思考停止であることに気づいている人は、どれほどいるだろう。 決定論(determinism)という立場がある。この宇宙で起きるすべての出来事は、それ以前の出来事によって因果的に決定されている、という考え方だ。ビリヤードの球がぶつかれば次の球が動くように、あなたの脳内の神経発火もまた、それに先立つ物理的条件によって決まっ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

一体なにがのこるんだっていうんだ

あなたが死んだあと、世界に何かひとつだけ残せるとしたら、何を残すだろう。 こういう問いが、ときどきSNSのタイムラインに流れてくる。深夜のRedditで、匿名の誰かがふと投げかける。返信欄にはそれぞれの真剣さと軽薄さが混ざり合っていて、どれも少しだけ本気で、少しだけ怯えている。 厄介なのは、答えようとした瞬間に、自分が何を大事にしているかが露呈してしまうことだ。本を残すと言えば知性への執着がばれる。人の記憶と答えれば関係への依存が透ける。何も残さないと言えば、それがポーズなのか諦念なのかを見抜かれる。 問いそのものが、罠なのだ。 青銅より永く ローマの詩人ホラティウスは、自分の詩集をこう結んだ。「青銅よりも永い記念碑を、私は建てた」(Exegi monumentum aere perennius)。『歌集』第三巻の最後を飾る、堂々たる宣言。 二千年以上が経って、その言葉は実際に残っている。ホラティウスの自負は正しかった。青銅の像が溶かされても、言葉は写本され、印刷され、いまやデジタルデータとして複製されている。ただし、それを今読んでいる人間がどれだけいるかは、また別の話だ

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

虚空をつかむ

幸せかと聞かれて、黙り込む人がいる。不幸だからではない。幸福が何なのかを知らないからだ。 知らないまま追いかけている。全速力で。行き先も知らずに。 宝くじの当選者は幸せか 1978年、心理学者フィリップ・ブリックマンらが奇妙な研究を発表した。宝くじの高額当選者22人と、事故で身体が麻痺した29人、そして何も起こらなかった一般の人々22人の幸福度を比較したものだ。 結果は直感に反していた。宝くじに当たった人たちは、何も起こらなかった人たちより幸せではなかった。それどころか、日常のささやかな楽しみから得る喜びは、当選者のほうがむしろ少なかった。 ブリックマンとドナルド・キャンベルは1971年に「ヘドニック・トレッドミル」という概念を提唱していた。ランニングマシンの上をどれだけ走っても景色が変わらないように、どれほど幸運な出来事が起きても、人はやがてもとの幸福度に戻ってしまう。快楽に順応する。当たり前になる。そしてまた走り出す。 もしこれが本当なら、幸福を追いかけるという行為そのものが、永遠に到着しない旅ということになる。 走っている実感だけがある。進んではいない。 満足

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

「いつか」は来ない

「いつかやる」。 この五文字ほど便利な免罪符を、僕はほかに知らない。口にした瞬間、何かに向き合ったような気分になれる。やると言った。意志は示した。あとは時間の問題だ。でも、その「いつか」に日付を書き込んだことのある人は、たぶんほとんどいない。 日付のない予定を、予定と呼んでいいものだろうか。 「明日」という逃げ道 動物は先延ばしをしない。 犬は「明日散歩に行こう」とは思わない。腹が減れば食べるし、眠くなれば眠る。「明日」という概念を持たない存在には、先延ばしという贅沢がそもそも許されていない。先延ばしは、未来を思い描ける知性が生んだ副産物なのかもしれない。猫はただ今を生きている。猫が「あとでやろう」と思いながら昼寝をしているかどうかは分からないが、少なくとも罪悪感はなさそうだ。 「明日」は人間が発明したなかで最も優秀な逃避先かもしれない。何しろ、明日は永遠に一日先にある。今日がどれだけ進んでも、明日はつねにその一歩先にいる。追いつけない。追いつく必要もない。終わらない今日がやってこないかぎり、明日はいつだって逃げ道であり続ける。僕たちはそのことを薄々知っている。 準備

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

10年の値段

売り物 自分の寿命の10年を差し出せば、何かひとつ、望むものが手に入る。 欲望の棚卸し 「一生お金に困らない生活」と答える人がいる。「完璧な健康」と答える人がいる。「愛する人の幸せ」と書く人もいる。 何を選ぶかは自由だ。でも何を選んだかで、その人の切実さが透けて見える。お金と答えた人は冷たいのではない。おそらく今、お金に困っている。ただ、お金がなくなっても何も解決しないのと同じように、手に入れたところで何かが変わる保証はどこにもない。健康と答えた人は、きっとどこかが痛い。愛する人の幸せと答えた人は、たぶんその人をうまく幸せにできていない。 問いそのものにはたいした意味がない。答えのほうに、その人の輪郭が滲む。 年の不平等 ところで、10年とは何だろう。 20歳から30歳までの10年と、70歳から80歳までの10年は同じだろうか。可能性に満ちた10年と、静かに閉じていく10年を等価と呼べるだろうか。 厄介な問いだ。「10年」という数字の裏には、つねに「どの10年か」という別の問いが隠れている。そしてたいていの場合、どの10年を差し出すかは自分では選べない。もしかする

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倫理と思考実験

正直は美徳か

あなたは今日、何回嘘をついた? 数えられたとしたら、それ自体が嘘だ。数えられなかったなら、それが答えだ。 私たちは嘘をつく。朝起きて「元気です」と言い、興味のない話に「へえ」と頷き、鏡の前で「まあ悪くない」と自分を騙す。息をするように嘘をつく。そしてそのことに罪悪感を覚えない。覚えてしまったら生きていけないからだ。 この文章は、嘘をつくなという説教ではない。正直であれという美談でもない。嘘と正直について私たちが語るとき、その言葉がどれほど曖昧で、どれほど頼りなく、どれほど何も解決しないかを、静かに、絶望的に、確かめるだけだ。 答えはない。最初から。 沈黙は嘘より静かに刺す 「嘘をつかない」ことと「本当のことを言う」ことは同じではない。 友人の髪型が似合わないと思ったとき、「似合わないよ」と言わなかったとする。嘘はついていない。でも、本当のことも言っていない。この沈黙は正直だろうか。 私たちの日常は、この種の沈黙で満ちている。言わないことで守られる関係。触れないことで維持される平和。それは優しさかもしれない。でもそれは同時に、真実を意図的に隠しているという点で、

By Sakashita Yasunobu

生きること

忘れられるとしても

100億年後、地球はもうない。太陽は膨張して赤色巨星となり、この惑星はその熱に飲み込まれるか、あるいはそれよりずっと前に海が蒸発して、大気が散り、ただの岩の塊に戻っている。 もちろん、そんなことは今夜なにを食べるかとは何の関係もない。 けれど、ふとした夜に、この問いは静かにやってくる。 今やっていることに、意味はあるんだろうか。 100億年という数字は、正直なところ、問いの本質ではないと思う。100年で十分だ。もっと短くてもいい。人生を週に換算すればおよそ4000週間。その有限さは、もっと手触りのあるものになる。 よく言われることだけれど、ほとんどの人は死後三世代ほどで忘れられる。曾孫の世代になれば、あなたがどんな顔をしていたか、何が好きだったか、どんな声で笑っていたかを知っている人は、おそらくもういない。 こう書くと残酷に聞こえるかもしれない。けれど、事実としてはごく穏やかなことだ。誰もあなたを恨んで忘れるわけではない。ただ、時間が静かに流れていくだけのこと。 この種の問いに向き合った人は、昔からいる。 パスカルは17世紀に、『パンセ』のなかでこう書いた。 この無限

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倫理と思考実験

近づくほどに遠ざかるもの

今夜、午前3時に電話をかけられる人間は何人いるか、数えてみてほしい。3人? 1人? それとも、連絡先を上から下までスクロールして、結局誰にもかけられないまま画面を閉じるだろうか。 安心してほしい。それは正常な状態だ。人類学的に、進化論的に、哲学的に、正常だ。 この「正常さ」が、たぶんいちばん救いがない。 この記事には答えがない。あるのは、だんだん大きくなっていく問いだけだ。つながりには天井があること。テクノロジーは何も変えなかったこと。「自分」という感覚すら怪しいこと。全部知ったところで一ミリも楽にはならないが、知らなかったことにも、もう戻れない。 脳が許した150人 1990年代、イギリスの人類学者ロビン・ダンバーは、霊長類の大脳新皮質の大きさと、その種が維持する社会集団の規模にきれいな相関があることを見出した。脳が大きいほど、安定した社会関係を多く維持できる。この知見をヒトの脳に当てはめたとき、導かれた数字がおよそ150だった。 150人。「あの人は誰で、あの人とこの人はどういう関係か」を把握しておける人数の、生物学的な天井。ダンバーはこの仮説の背景にある考え方を「社

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生きること

あなたには何も見えていない

2015年、一枚のドレスの写真がインターネットを二つに割った。 ある人には白と金に見える。別の人には青と黒に見える。同じ写真、同じピクセル、同じ光。それなのに見えている色が違う。NYUの神経科学者パスカル・ワリッシュは13,000人以上を調査し、この食い違いがドレスを照らす光源について脳が無意識に行う仮定の違いに起因することを示した。自然光の下にあると仮定した脳は青みを差し引いて白と金を見る。人工光の下にあると仮定した脳は黄みを差し引いて青と黒を見る。 どちらの脳も、自分の仕事を忠実にこなしている。どちらも間違っていない。そして、どちらの目の持ち主も、自分が見ている色こそ「本当の色」だと確信していた。 この話はSNSの一過性の騒ぎで終わった。でも、よく考えると、あれ、なんか変だ。 赤の中には何もない あなたが見ている赤は、網膜の錐体細胞が特定の波長の光に反応し、その信号が視神経を経由して脳の視覚野で処理された結果、あなたの内部にだけ生じる現象だ。物体の側には波長がある。色はない。 哲学はこの内側の体験を「クオリア」と呼ぶ。ラテン語のqualis(どのような)に由来するこの

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倫理と思考実験

あなたは私を知りうるか。あるいはあなたはそこにいるのか。

「あなたの気持ち、わかるよ」。 こうした言葉を向けられた瞬間に、胸のどこかがすっと冷えたことはないだろうか。 善意だとわかっている。慰めようとしてくれている。でも、何かが閉じる。あなたが抱えているものは、あなたの身体を通り、あなたの時間の中で発酵し、あなただけの文脈と絡み合って、ようやくその形をとった。それを誰かが五文字で引き受けようとする。あなたの経験は、相手の過去のどこかに似た何かに置き換えられ、その置き換え版だけが「理解」と呼ばれる。 わかってもらえたとは思わない。わかったことにされた、と思う。 この違和感の正体を、少しだけ掘ってみたい。 通じない言語 そもそも、言葉は思っているほど共有されていない。 「悲しい」と言うとき、あなたの「悲しい」と相手の「悲しい」が同じ感覚を指している保証はどこにもない。同じ単語、同じ文法、同じ言語。それなのに、その裏側で動いている感覚も記憶も身体の感触も、全部違う。 ヴィトゲンシュタインは『哲学探究』の中で、いわゆる「私的言語」の問題を考察した。痛みのような私的な経験を、公的な言語で正確に捉えることはできるか。彼の議論が示唆するの

By Sakashita Yasunobu

倫理と思考実験

どこが私

あなたが「自分」だと思っているものは、たぶん、どこにもない。 体を探しても見つからない。記憶を辿っても届かない。意識を覗き込んでも、底は見えない。他人に聞いてみても、返ってくるのは歪んだ反射だけだ。哲学者たちは二千年以上かけてこの穴を掘り続けてきたが、掘れば掘るほど底が遠のくだけだった。 この記事は何も解決しない。答えを探しているなら、もう閉じた方がいい。ここにあるのは問いだけだ。ひとつ残らず、行き止まりの。 すでにいない 人間の体を構成する細胞の多くは、数年から十数年のあいだに入れ替わる。皮膚は数週間、腸の上皮は数日、赤血球はおよそ120日。カロリンスカ研究所のヨナス・フリセンらによる放射性炭素年代測定の研究は、人体を構成する細胞の平均年齢がおよそ7年から10年であることを示した。 ただし、「すべて」が入れ替わるわけではない。大脳皮質のニューロンの大部分や心筋細胞の多く、眼の水晶体の中心部の細胞は、生まれてから死ぬまでほとんど同じものが残り続ける。 それでも、10年前のあなたの体を構成していた物質の大半は、もうそこにはいない。音もなく入れ替わっている。テセウスの船のよう

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