倫理と思考実験
終わらない今日
もし、明日が来なかったとしたら。 目覚まし時計が鳴る。昨日と同じ時間に。窓の外は昨日と同じ天気で、テレビからは昨日と同じニュースが流れている。何をしても、何を選んでも、翌朝にはすべてが巻き戻る。あなただけが覚えている。あなた以外の世界は、何ひとつ変わらない。 こういう想像をしたことがある人は、たぶん少なくないと思う。 映画『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day, 1993年)は、まさにこの状況を描いた作品だった。気象予報士のフィル・コナーズが、ペンシルベニア州パンクスタウニーで2月2日を何度も何度も繰り返す。最初はふざけて楽しみ、次に自暴自棄になり、やがて静かに変わっていく。誰にも覚えられない一日の中で、ピアノを練習し、人の名前を覚え、通りすがりの老人の世話を焼くようになる。 あの映画を観て、多くの人がたぶんこう思ったはずだ。「自分ならどうするだろう?」と。 もっと古い問い ただ、この思考実験には、映画よりずっと古いルーツがある。 ニーチェは1882年の『悦ばしき知識』(Die fröhliche Wissenschaft)第341節「最大の重し」で、こんな場面